生命、まだ観ぬグラン・トリノへの複雑な想い

植物たちの造形と変化の妙に興味は尽きない。視線も思考も届かない深いところまで緻密に計算されたかのような秩序がそこにあるのを感じる。それが近藤さんが多面的に思考を巡らせてきた合理的思考によってはとうてい捉えきれない「生命」そして「進化」ということなのかもしれない。

「生物と無生物のあいだ」(『工場統計力学(建設中!)』2009-05-09)


映画『グラン・トリノ』を観に行こうかどうしようか迷っている。クリント・イーストウッドだ。面白くない訳がない。ハヤカー先生が二回観て二回とも号泣したらしい。ハヤカーを泣かすとはクリント許せない! と叫びたくもなるが、もちろん、そんなみっともないことを、公園で裸になって叫ぶかのごとく、公にできるほど素晴らしいという証拠でもあるし、心が大きく揺れる。でも、彼はまだ「おっさん」、こっちはもう「爺」、、、泣けなかったら、涙が出なかったらどうしよう、、、。まあ、いっか。

「グラン・トリノ」(『hayakarの日記』2009年04月26日)
「グラン・トリノ再び」(『hayakarの日記』2009年05月06日)