たくさんの珍しい植物の勉強をさせてもらったSさんちの庭では、アケビの花は終わり、ハクサンチドリの花は終わりかけ、牡丹のピンクの大輪の花が咲き誇り、足元ではオオアマドコロに代わって、スズランが鈴なりである。昨年春に女の子を授かったまだ若いS夫妻は、私が庭の前を通りかかるのに気づくと、家の中にいても窓越しに手を振ってくれる。私も手を振る。心が弾む瞬間。言葉は発せられず、聞こえなくても、いや、むしろそうであるが故に、単純ではない思いが瞬時に通じ合い、しかも余韻が残るということが起こる。風太郎が死んだ直後に一度奥さんとは話をしたが、その後お二人とは直接言葉を交わしたことはなかった。今夕は、お宅の敷地に隣接した家庭菜園隅の大きな葉をたくさんつけたハクモクレンの木の下で仲睦まじく三人で何かを観察しているところに行き合わせた。「こんにちは。お嬢ちゃん、すっかり大きくなりましたね」「はい、、」奥さんもご主人も挨拶の言葉以外の言葉を出しあぐねているのが分かった。特にご主人は風太郎が死んだことを奥さんから聞かされ知っているだけに、一人で散歩を続ける私にまずは掛けるべき言葉に窮しているようだった。何も話さなくとも、彼の感情はその表情から痛いほどよく伝わってきた。「一人で歩いてるのは変でしょ? 皆にまた犬を飼え、って言われるんだけど、まだその気にはなれなくて、、」「わかります」