まるで紙芝居のような...

京都の路地を舞台に暗躍する謎の怪人、八兵衛明神の化身、ぽんぽこ仮面の謎の消息を追う謎謎めいたサスペンスタッチの連載小説『聖なる怠け者の冒険』(森見登美彦作/フジモトマサル画、朝日新聞夕刊)を毎晩楽しみにしている。森見登美彦さんの文章にフジモトマサルさんの画が絶妙にマッチしてまるで現代版「黄金バット」の紙芝居を見ているような懐かしくも楽しい気分にさせられる。

ぽんぽこ仮面は次のような、私の「花咲か爺プロジェクト」と通底しあうような、ミッションを粛々と遂行しているらしい。

「八兵衛明神の化身、ぽんぽこ仮面とは我が輩のことだ。この一年、街に暮らす人々の小さな不幸を取り除くために戦ってきた。これはまことにキビシイ戦いであった。迷子を助け、自転車泥棒を捕らえ、忘れ物を届けた。厳しくはあるが、地味な戦いだ。『正義の味方』を名乗るなら、そんなチンケな不幸は放っておいて、巨悪と戦えと言う人もある。しかし言いたいやつには言わせておこう。我が輩には我が輩の生き方がある。我が輩は己の為すべきことを為す、それが...

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しかしながら、ぽんぽこ仮面はしだいに、街に充ちる小さな不幸の背後にどうも巨悪が潜在しているらしいことを嗅ぎ付けることになる。

……この春頃から、我が輩はこの街にひそむ邪悪な存在をひしひしと感じるようになった。どの街角でも、その不吉な影とすれ違う。あたかも、街の隅々まで目に見えぬ奇妙な糸が張り巡らしてあるかのごとし。その恐るべき巨大組織は得体の知れない神秘的なシステムを用いて、人々に数限りない小さな不幸を供給している。神の金槌で叩きつぶして回っても、これではきりがない」

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まだ「第1章 仮面の男」の途中だが、昨日の第10回目では、理不尽な状況に陥ったサラリーマン三年目の小和田君の過去が語られるくだりで、小和田君がまるでデカルトのような台詞を口にするも、恩田先輩に軽くいなされる場面が印象的である。

 「人間はその気になれば、缶珈琲一つで幸せを噛みしめることができるのです」
 小和田君が缶珈琲のもたらす小さな幸福について熱弁を振るっていたら、恩田先輩は彼の肩を優しく叩き、「今度おいしいものを食べに連れて行ってやるから」とアルパカみたいな顔で言ったものだ。「あんまり思い詰めるなよ」
 「思い詰めてるわけではないです」
 「いいからいいから、俺には分かってる、分かってるよ」

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缶珈琲のもたらす小さな幸福と人々の数限りない小さな不幸、そしてその背後で稼働する巨大な不幸のシステムとの関係は如何に。毎回次の展開が楽しみである。