Kの迷宮

ひと月前の日曜日の午後、Kさんとの約束(→ K劇場の秘密)を果たすべく、私は嫌がる妻を伴って、「トンチンカンの里」を訪ねた。そのときの衝撃の体験が咀嚼され消化されて、少し語れるようになるまでひと月の時間が必要だった。札幌の南の郊外、「札幌の奥座敷」と呼ばれる定山渓温泉を越えたさらに南西の豊平峡ダムの直近の山間に、それは実在した。近所には本物と見紛うばかりの木彫りのフクロウが広い土地のあちこちの樹の上から睨みをきかせる「みよし工房」も存在した。実は道に迷った私たちは「みよし工房」に立ち寄ってトンチンカンの里の情報を得たのだった。ちょうど房主の三好純男さんは遠路はるばるやってきた知己と話し込んでいる最中だった。「ヒグマのいない北海道なんて、北海道ではない!」という声が聞こえた。ギャラリー内を所狭しと埋めている各種の木彫り作品を鑑賞していると、奥様が気をつかっていろいろと説明してくださった。何気なく質問しているうちに、お二人の千葉の大学での馴初め話まで聞くことになった。案の定、Kさんとは昵懇ということだった。トンチンカンの里の場所についても詳しく教えてもらうことができた。三好夫妻は自然と深く共存して生きていることがビンビン伝わってくるような綺麗なオーラに包まれていた。短時間ではあったが、三好夫妻との出会いによって、私の汚れたオーラはほんの少しだけ浄化された気分になった。「スズメバチに気をつけて下さい」という奥様の言葉がちょっと気がかりだった。

「みよし工房」から車で5分も走らないうちに「トンチンカンの里」に着いた。そこは小川あり、池あり、敷地の境界が定かではない起伏に富んだ広い土地だった。スズメバチの巣があっても不思議ではない。古い屋敷の隣に真新しいこじんまりとしたログハウス調の建物が離れのように建っていた。それが「トンチンカンの里」の事務所兼アトリエ兼ギャラリーのようだった。玄関横には立派な木彫りの看板が打ち付けられていた。ご覧のように、「トンチンカン」は「頓珍漢」ではなく「頓珍館」と書く。Kさんは、その「頓珍館の里」の「里長」という肩書きを持っているのだった。大きな窓ガラス越しにその中を覗いて見た。木彫り、絵画、書、写真等の「作品」が棚や壁に所狭しと飾られていた。Kさんは木彫りから絵画から写真から書から篆刻まで多様な表現活動を行ってきた人物であることを驚きとともに了解した。作品の間に大きな額縁に納められた賞状のようなものが飾られていることに気づいた。目を凝らしてみると、そこにはなんと庭に置かれた五右衛門風呂の中で局部をフキの葉っぱで隠し全裸で立つ笑顔のKさんの写真が載っていた。その下には達筆の行書による俳句「残雪の/ながめ楽しき/豊平峡」と篆書による「頓珍館の里」の文字が書かれ、さらにKさんのこれまでの多芸多才な活動と「多少エロスの香りがする作品」を褒めたたえる文章が書かれており、末尾に「自然の恵みを感じる方はお立ち寄り下さい」というメッセージが記され、最後に「渓山」の印が押されていた。なかなかやるなあ。これもまたKさんの「作品」、自分を微妙に突き放したペーソスとユーモアに満ちあふれた作品に違いない。まるで「頓珍館の里」が「Kの迷宮」のごとく潔く見事に自己完結する世界として設計されているように感じた。極上の遊び? あっぱれ、Kさん。

ところで、昨日の朝、散歩の帰りにKさんちの前を通りかかったら、庭の木蔭から突然、「三上さん!」と声をかけられてびっくりした。何事かと思ったら、以前約束したボケの実の件だった。そろそろ採らないと、ぼたぼたと落っこちてしまうというのだった。好きなときに採って持っていってくれと言ってくださった。ありがたい。ボケ酒が出来たら祝杯を上げることを約束した。「頓珍館の里」を訪ねたことを報告すると、ちょっと照れながらもとても喜んでくれた。


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