定山渓の河童

自宅から南西方面へ車を15分も走らせると定山渓温泉があり、その少し先に豊平峡がある。豊平峡にはわが町内の総合芸術プロデューサーとも言うべき小坂さん(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090825/p2)が建設した「頓珍館の里」や彫刻家の三好夫妻がやっている「フクロウの里」こと「みよし工房」があることはすでに報告した(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090723/p3)。今日は、久しぶりに豊平峡を訪ね、帰りに豊平川を下るようにして定山渓を通り抜けた。紅葉はとっくに終わっていた。風邪で寝込んでいた週が見頃だったようだ。豊平峡でちょっと気になった山道に入ってしばらく走ると、古い石橋、昭和12年竣工の「ゆたかはし」があった。そのたもとに古風なデザインの白い小型車が停まっていた。その味のある形に魅入られた。RENAULT 4 TL だった。持ち主の姿はなかった。川釣りでもしていたのだろう。定山渓温泉の西の端、豊平川が土地を深く抉り、両岸に奇岩怪岩が続く一帯には野趣溢れる散策路を一巡りできる二見公園がある。そこにはなぜか「かっぱ淵」がある。はじめてその淵に立ち、はじめて「河童」*1を間近に見ることができた。

石狩支庁「定山渓の河童伝説」にはこう書かれている。

明治の頃、豊平川で釣りをしていたある美少年が、突然川底に消えてしまった。1年後、父親の夢枕に立った彼は、「女河童に気に入られ、結婚した。今は子供もできて幸せに暮らしている」と告げた。以来、青年が沈んだ淵はかっぱ淵と呼ばれ、溺れる者がなくなったという。この伝説にちなんで、定山渓温泉のシンボルは河童となった。毎年夏に"定山渓かっぱ祭り"が開催されたり、街のあちこちには20体以上の河童像が建てられてもいる。二見公園の "かっぱ大王"や見返り坂湯の滝に寝転ぶ河童像は、特にユーモラスだ。










河童といえば、日本の代表的な妖怪であり、折口信夫柳田國男から水木しげるまで、河童という異形の形象の底に流れる日本人の古い記憶の河の淵を覗き込もうとした人は少なくない。個人的には、河童は間引きされた子供の遺体が河原にさらされている姿であるとの一説が忘れ難い。



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なお、世界各地の意匠や信仰にあらわれる図像の象徴性を研究しているケント大学のキャロル・ローズは『世界の妖精・妖怪事典』の中で、河童をデーモンの一種とみなした上でその特徴を次のように記述している。

 日本の神話に登場するデーモン。猿のような姿をした小さな生き物で、鱗に覆われた肌と水かきのついた指を持つと言われている。「川の子供」を意味する川子(かわこ)とも呼ばれ、池や川に生息する。非常に意地が悪く、人間や動物を水中に引きずり込んではその肉をむさぼり食い、血を飲むと言われている。河童とうまく交渉できた賢い人間は命拾いすることもある。河童は深くおじぎをするとその身に備わっていた力が抜け出てしまうことがあり、そうなると、定められた運命をデーモンの力で再び取り戻さなければならなくなる。頭を下げると、力の源となっている頭の皿の水がこぼれてしまうのである。(98頁)


参照

*1:「アー・イタイタ」阿部典英作 1991年