感謝と反省

今朝は散歩がてら、Uさんちには孔雀仙人掌(クジャクサボテン)の写真を、M道さんちには亜米利加凌霄花アメリノウゼンカズラ)の写真を届けた。いつも撮らせてもらう一方なのがどこか気が引けていて、せめてもの恩返しのつもりだった。あいにくUさんは留守で、写真入りの封筒を郵便受けに入れた。M道さんも姿が見えなかったので、同じように写真入りの封筒を郵便受けに入れた。すると庭の木の陰でなにやら作業しているM道さんが目に入った。「M道さ〜ん、この間撮った写真、郵便受けに入れときましたよ〜」私の言葉に驚いた表情でM道さんは感謝の言葉とともに「お金を払うよ」と言い出した。「家で印刷したものですし、写真を撮らせてもらったお礼です」と言っても、M道さんはお金を払うといって聞かない。しばし押し問答が続いた末、なんとかM道さんを説得した。何度も感謝の言葉をいただいた。

私の場合、散歩時の写真撮影には基本的にやましいところがあると感じている。盗み撮りしているような罪悪感がある。しかし、撮りたいという欲望がそれを上回っていて、万が一、咎められるようなことがあっても、相手を説得するだけの理由は持ち合わせているような気もしている。ところで、先日、思わず苦笑する出来事があった。いつものように、目を惹いた道端の花をしゃがみこんでああでもないこうでもないと色んな角度から撮影しているときだった。夢中だった。そこに目を持っていけない視点から撮りたいときには、伸ばした腕の先のカメラを握った掌に目があるような気持ちでシャッターを何度も切っていた。そういう瞬間には無意識に息を詰めているようで、「こんなもんか」と一区切りつけて立ち上がったときには、大きな溜め息とともに「浦島太郎」のような気分になる。ところが、その時に限って、すぐそばのお宅の庭で作業するご婦人の存在には気づいていなかった。私が立ち上がった直後に、「あら、まあ、吃驚した!」と大きな声が背後から聞こえた。私も驚いて振り返った。「すみません。花の写真を撮ってました」「そうだったの! 具合でも悪いのかと思ったわ」「すみません」図に乗って写真を撮っている自分をちょっと反省したのであった。