生物としてのプライマリーな調整能力

下川さん(id:Emmaus)、コメント欄が次頁に隠れてしまったこともあって、最新のコメントをこちらに引用させていただきますね。悪しからず。

時間の取り扱いって大事です。
実は四月からずっと腰(椎間板ヘルニア)がよくなくてもっと悪くなって10歩も歩けなくて手術の一歩手前までいってたんだけど。でも最悪の状態を脱して。でいろいろ自分なりにやって分かったんだけど、日ごとの腰の状態を「点」としての流れに注視するより、週単位という「面」という流れで眺望していくと、痛みも痺れにも一喜一憂せずに気持ちが楽に落ち着いたということがあって。ボクらはずっと人間の起源以来の切れることのない現最新バージョンなわけで、そのバージョンアップが最良か最悪かわからないけど、共時的にも通時的も生物としてのプライマリーな調整能力があると思ったのでした。

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090819#c1250897880

なるほど、です。ぼくも二月から悩まされている全身のかゆみに関して同じような思いに至りました。それで、下川さんの言う「生物としてのプライマリーな調整能力」、プリミティブと言ってもいいのかな、について、大事だと感じている点をちょっとだけ敷衍できるような気がしています。いずれ死ぬ、いつ死ぬかわからない、という点は留保した上での話ですが、つまり、ぼく(ら)は、そのような能力を失いつつある、見失いかけているという点です。しかも、世の中では、その喪失のプロセスが加速している。そこで、それを回復させるには、今当たり前だと思い込んでいることの多くを捨てなければならないだろうという点です。ぼくが日々あれこれやっていることはすべてそこに関わってくると言える面がたしかにあるんです。身体という自然の「声」に耳を澄ますことは、なにも、「我」にこだわることではなくて、もっと大きな自然そのもの、さらには、それこそ、魂とか霊という言葉で指し示されてきた場というか地平をも直視することにつながるのではないかと直観しています。

中山さん(id:taknakayama)、こういうやりとりしていると、ツイッターって案外便利かな、とちょっと思いました。