ブログを貶(おとし)めないために

最近の一連のやりとりの中で、「たががブログ、されどブログ」と書いたら、下川さん(id:Emmaus)には「ブログさえもったいない」と返され、中山さん(id:taknakayama)には「ブログには書けないことが多い」と返された。また、私がいわば「個人主義的かつ内容至上主義」を言えば、下川さんは「方向性(ないし志向性)の共有」、「調和主義」を言い、中山さんは「井戸端会議指向」を言う。自分を突き放して言えば、ここには異なる現実を生きる三者三様のブログ観が垣間見られて興味深い。

三上:たががブログ、されどブログ。 個人主義と内容至上主義。「宛先のない公開お手紙」
下川:ブログさえもったいない。 方向性(志向性)の共有と調和主義
中山:ブログには書けないことが多い。井戸端会議指向

これとは別に、すでに下川さんとの間ではデュオかトリオかを巡って立場の違いが表明された。

三上:一対一(デュオ)が基本
下川:デュオよりトリオ

さらにまた、「何をなぜ書くのか」というブログの意味と理由をめぐって、中山さんと交わした意見では、「ブログ」と「現実」の関係という観点から、異なる立場が表明された。

三上:ブログを現実と戦う武器にする
中山:ブログでは現実と戦えない(中山さん、違ってたら、言って)

さて、こうして三者の立場の違いを強調したものの、いうまでもなく、三者は現実を踏まえて書くことに関しては多くを共有しているが故に、ブログを介してこれまで前代未聞の現実(大げさか?)を切り拓いてきたのである。しかし、今やさらなる展開を望むとすれば、三者の微妙な違いをこそ俎上にのせて、「荒野の談合」(下川)にならないようにしたいなあ、と、まあそう思っているわけです。