「サンパウロで大停電」の新聞記事を読んで、サンパウロ在住の写真家・楮佐古(かじさこ)さんのことを思った。案の定、彼の日記に停電時の「恐怖」の顛末が書かれていた。携帯電話の明かりを頼りに、「とりあえず」離れて暮らしている息子さんたちのアパートに向かったというくだりに、他人事ながら、ジーンと来た。
詳しいことは分からないが、幸い、少なくとも楮佐古さんが住むアパート界隈の電力供給は回復したようだ。日記は「しかし、今回は寝ていて起きると、停電だった、という状態だったので、少なからずの恐怖を覚えた。それにしても都会での電気の重要さを改めて思い知った」と結ばれていたが、たしかに、停電は、現代文明の電力依存度を痛感させるだろう。それとは別に、電力と言えば、日本でも好きな電力を選んで買う自由があればいいのになあ。そう言えば、数年前に菊地成孔が音楽を担当した『大停電の夜に』という映画を観たことを思い出した。クリスマスイヴの東京が真っ暗になった時、あなたにとって一番大事なこと(人)が明らかになるというような内容の映画だった。ブログ内検索してみたら、4年前の講義録(言語哲学入門(2005年11月24日))で映画にちょっと触れていた。
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