アンペラ、土佐節、なぎなたほおずき


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ひょんなことから初めて読んだ、林芙美子『放浪記』の中で、鳩の豆を売るお婆さん、土佐節を唄う人夫、なぎなたほおずきを器用に鳴らす少女が登場する場面が非常に印象的だった。「私」はそこで触れる「世界」に結局は止まることはなかった。


ある年の七月某日、東京の生活に疲れ果て、明石行きの三等列車に乗った「私」は、あてもなく神戸駅に途中下車し、暑い陽射しのなか、楠公さん(湊川神社)の境内の噴水の石に腰を下ろして、絶望寸前の気持ちを持て余していた。

「もし、あんたはん! 暑うおまっしゃろ、こっちゃいおはいりな……」噴水の横の鳩の豆を売るお婆さんが、豚小屋のような店から声をかけてくれた。私は人懐っこい笑顔で、お婆さんの親切に報いるべく、頭のつかえそうな、アンペラ(むしろ)張りの店へはいって行った。文字通り、それは小屋のような処で、バスケットに腰をかけると、豆くさいけれども、それでも涼しかった。ふやけた大豆が石油鑵(かん)の中につけてあった。ガラスの蓋をした二ツの箱には、おみくじや、固い昆布がはいっていて、それらの品物がいっぱいほこりをかぶっている。
「お婆さん、その豆一皿くださいな。」
五銭の白銅を置くと、しなびた手でお婆さんは私の手をはらいのけた。
「ぜぜなぞほっときや。」
 このお婆さんにいくつですと聞くと、七十六だと云っていた。虫の食ったおヒナ様のようにしおらしい。
「東京はもう地震はなおりましたかいな。」
 歯のないお婆さんはきんちゃくをしぼったような口をして、優しい表情をする。
「お婆さんお上がりなさいな。」
 私がバスケットからお弁当を出すと、お婆さんはニコニコして、口をふくらまして私の玉子焼を食べた。
「お婆さん、暑うおまんなあ。」
 お婆さんの友達らしく、腰のしゃんとしたみすぼらしい老婆が店の前にしゃがむと、
「お婆はん、何ぞええ、仕事ありまへんやろかな、でもな、あんまりぶらぶらしてますよって会長はんも、ええ顔しやはらへんのでなあ、なんぞ思うてまんねえ……」
「そうやなあ、栄町の宿屋はんやけど、蒲団の洗濯があるというてましたけんど、なんぼう二十銭も出すやろか……」
「そりゃええなあ、二枚洗うてもわて食えますがな……」
 こだわりのない二人のお婆さんを見ていると、こんなところにもこんな世界があるのかと、淋しくなった。(155頁〜157頁)


***


その夜、「私」はお婆さんに聞いた海岸通りの商人宿に泊まる。翌朝の寝覚め時の描写。

 坊さん簪(かんざし)買うと云うた……窓の下を人夫たちが土佐節を唄いながら通って行く。爽やかな朝風に、波のように蚊帳(かや)が吹き上がっていて、まことに楽しみな朝の寝ざめなり。郷愁をおびた土佐節を聞いていると、高松のあの港が恋しくなってきた。(158頁)


***


十月某日、興津(おきつ)行きの汽車に乗り、三門(みかど)で下車し、外房州の黒い海を眺めながら、日在浜(ひありはま)を歩いているときの描写。

遠くから、犬の吠える声がする。かすりの半纏(はんてん)を着た娘が、一匹の黒犬を連れて、歌いながら急いできた。波が大きくしぶきすると犬はおびえたようにキリッと首をもちあげて海へ向かって吠えた。遠雷のような海の音と、黒犬の唸り声は何かこわい感じだ。
「この辺に宿屋はありませんか?」
 この砂浜にたった一人の人間であるこの可憐な少女に私は呼びかけてみた。
「私のうちは宿屋ではないけれど、よかったらお泊まりなさい。」
 何の不安もなく、その娘は私を案内してくれた。うすむらさきのなぎなたほおずきを、器用に鳴らしながら、娘は私を連れて家へ引返してくれた。
 日在浜のはずれで、丁度長者町にかかった砂浜の小さな破船のような茶屋である。この茶屋の老夫婦は、気持ちよく風呂をわかしてくれたりした。こんな伸々と自然のままな姿で生きられる世界もある。私は都会のあの荒れた酒場の空気を思い出すさえおそろしく思った。(165頁〜166頁)


これらのシーンは舞台や映画になっているのだろうか。