勇気、冷静さ、そして知恵

変えることのできるものについて、それを変えるだ
けの勇気をわれらに与えたまえ、変えることのでき
ないものについては、それを受け入れるだけの冷静
さを与えたまえ。そして、変えることのできるもの
と、変えることのできないものとを、識別する知恵
を、われらに与えたまえ。
  ------ラインホールド・ニーバー

宇野常寛ゼロ年代の想像力』より)




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2年生の佐々木君から、株価下落の大きな原因がドバイショックにあったことを予測できなかった点に関する反省的報告があった。また、私が特別演習という授業で学生たちと読み進めている宇野常寛ゼロ年代の想像力』の話題に強い関心を示した佐々木君は、中身は読んでいないにもかかわらず、社会に積極的に一歩踏み出し、そこで生き抜く勇気を奮おうとする自分と、ともすれば引きこもってしまいそうになる自分について率直に語ったのだった。ちなみに、いわゆる「現代思想」の文脈においては、「ゼロ年代の想像力」の「ゼロ年代」とは2000年から2009年までの10年間を指し、次の10年間は「テン年代」と呼ばれるらしい。今年はゼロ年代最後の年にあたり、来年からはテン年代が始まる。ゼロ年代の前は90年代、80年代、70年代、60年代、、と遡る。「想像力」とはその時代に特有の状況を踏まえた上で「どう生きていくべきか」に関わる「物語」を紡ぎ、実行に移す力のことである。佐々木君は、まだ2年生とはいえ、本質的なシューカツに積極的に取り組んでいるがゆえに、本書で書かれているであろうことに敏感に反応したのだった。彼が訴えた葛藤は、まさに90年代的な引きこもりを肯定するような想像力とゼロ年代的な一種の生き残りをかけた戦いを覚悟する想像力のせめぎ合いそのものだったのである。でもね、思うに、引きこもったまま死ぬのを待つのではなく、一歩前に踏み出すしかない状況というのは、実は当たり前の状況であって、近代という時代が始まった頃から、国家レベルの生き残りの戦いは継続されていて、しかもそのしわ寄せを喰った民族はたくさんいた(姜信子さんが追った高麗人の歴史=記憶のように)わけで、そこまで視野を広げたときには、ゼロ年代の想像力さえ決して「新しい」とは言えない。それに、一口に「戦い」とか「生き残る」とか言っても、戦い方、生き残り方、その方法こそが問われているわけで、、。チャイムが鳴ったので、続きは来週ね、佐々木君。


参照