ガロのズリ山の思い出

小学5年(1969年)の終わりから中学2年(1972年)の終わりまでの約三年間を札幌から北に50kmほどのところにある美唄(びばい)市で暮らした。かつて美唄には三菱、三井をはじめとして大小の炭鉱があり、50年代に最盛期を迎えたが、その後は衰退の一途を辿り、私が美唄を離れる頃、72、73年頃までにはほとんどが閉山した。市街地から東へ少し行ったところに「ガロ」という珍しい名前の寂れた町があった。ガロ。ちょっと不気味な印象を持ったのを覚えている。漢字では「我路」と書く。そこには北菱我路炭鉱(1973年閉山)があった。

小学6年生のとき、だから、まだ閉山前だった。転校してきて間もない頃に、転校生の私に気をかけてくれた一人の級友に誘われて、ガロの巨大なズリ山に何度か登ったことがある。このズリ山、九州ではボタ山と呼ぶ。あちこちくすぶっていた。場所によっては暑く、あの独特の匂いに息が詰りそうになったが、初めて見る黒い山の異様な光景に目を奪われていた。突然崩れそうな、爆発しそうな、恐ろしさを感じた。ズリ山に登った話を家族にしたとき、危険だから、あそこには近づいては行けない、と父に叱られた。あのズリ山の匂いは、その後嗅ぐ機会はなかったが、今でも鼻腔は鮮明に覚えている。体の奥に染み付いているかのようだ。姜信子さんの旅物語、山口勲さんの写真、そして森崎和江さんの炭鉱労働精神史に触れながら、あのガロのズリ山の匂いが強烈に甦っていた。



参照