風の靴を履いた男


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1986年の夏にブルース・チャトウィンは「奇病」*1に苦しみ、死を覚悟して、『ソングライン』(asin:4862760481)を完成させた。その後一時的に回復の兆しを見せたが、1989年1月18日に亡くなった。その間、彼は遺作となった本の編纂を自らの手で行っていた。その本に ‘What Am I Doing Here’ (邦題「どうして僕はこんなところに」)という題名をつけたのは、亡くなる直前だった。その題名はアルチュール・ランボーエチオピアから家族に宛てた手紙の一文 ‘What Am I Doing Here?’ *2からとられた。なぜか疑問符が落ちている。それはおそらくその答えをすでに生きている者の<つぶやき>、自問の果ての自問、<究極の自問>であり、ありふれた単純な疑問ではないことを示唆するための措置だったように思われる。


亡くなる2年前(1987年)、チャトウィン南アフリカ出身の白人の作曲家ケヴィン・ヴォランズKevin Volans, 1949年生まれ)と運命的な出会いを経験する。その経緯は『どうして僕はこんなところに』の第3章に収められた「ケヴィン・ヴォランズ」(1988年)の後半に書かれている。

 昨年2月の朝、ひどいマラリアに苦しむ私のもとに、聞いたことのない南アフリカの作曲家から妙に興味をそそる手紙が届いた。署名にケヴィン・ヴォランズとあった。
「しばらく前からずっとお便りしたいとおもっておりましたが、厚かましくも、レソトLesotho)への録音旅行にご同行願えないかとお誘いしたい誘惑にかられ……今日まで出しそびれておりました。
 彼の曲には素晴らしい題名がついていた。『白人が眠る(White Man Sleeps)』『小さな毛布で眠る女(She Who Sleeps with a Small Blanket)』『草で覆え(Cover him with Grass)』『ズールー族の歴史の研究(Studies in Zulu HIstory)』『膝をついた踊り(Kneeling Dance)』『跳躍の踊り(Leaping Dance)』『狩猟と採集(Hunting; Gathering)』
 私は高熱にうなされていて、すぐに聞ける状態ではなかったが、力を振り絞ってやっとヴォランズのテープをデッキに入れた。まばゆい光の降り注ぐ、寒々とした一日で、白壁に白いヴェネチアン・ブラインドの私の寝室には、強い日差しが照りつけていた。身体が燃えるように熱かった。横になり、耳を疑った。ハープシコードヴィオラ・ダ・ガンバとパーカッションのための曲『白人が眠る(White Man Sleeps)』に耳を傾けた。生まれて初めて耳にする音楽だった。こんな音楽がありうるとは想像すらできなかった。とてつもなく独創的で、誰の影響も窺えない。ただ忽然と生まれ出たかのようだ。自由で、生き生きとしていた。棘だらけの灌木が点在するアフリカの音が、虫の声や、草原をわたる風の音が聞こえた。それでいて、ドビュッシーラヴェルが聞いても、けっして奇異には思わなかったろう。
 私はベルファストBelfast)のクィーンズ大学で教えていた彼に連絡し、彼の新しい留守番電話に最初のメッセージを残すことになった。ほどなくケヴィンは私の枕元に立った。私たちは終生の友となった。

  『どうして僕はこんなところに』78頁〜79頁*3


この引用に続く箇所で、チャトウィンはケヴィン・ヴォランズがプロのピアニストを夢見た南アフリカでの少年時代から、24歳で渡欧し、シュトックハウゼンKarlheinz Stockhausen, 1928–2007)に師事し、後に彼の助手になるも、次第に西洋音楽に一種の限界を感じ始め、人類の<故郷>とも言えるアフリカでの採譜旅行や録音旅行を通じて、人生的にも音楽的にもアフリカに回帰しつつ、「アフリカの美学とヨーロッパの美学の調和を目指す器楽曲」を次々と生み出す(81頁)までの経緯を、音楽の原初の姿を追い求める旅人として共感をこめて生き生きと描いている。チャトウィンとヴォランズは違った場処から出発したにもかかわらず、同じように人類のソングラインを辿り、出会うべくして出会ったのだと言えるだろう。「ケヴィン・ヴォランズ」の最後はこう結ばれている。

 アフリカから帰ったケヴィンは、自分がアフリカ人でもヨーロッパ人でもないことを知り、ひどく落胆した。しかし間もなく、自分は自由だ、自由に思いのままに作曲できるのだと悟った。「自由とは選択のないことである」というスーフィーイスラム神秘主義者)の言葉がある。これは最も神聖な祈りの歌である。私にとって、ケヴィンはストラヴィンスキー以降、ひときわ独創的な作曲家の一人である。
 彼の弦楽四重奏曲『ソングライン』は、この十一月、クロノス・カルテットにより、ニューヨーク、リンカーン・センターで初演される。(81頁〜82頁)


「自由とは選択のないことである」は解釈の難しい言葉である。それは決して隷従を意味しない。一見自由に思われる選択の強制からの解放を意味する。真の自由の強度に満ちた言葉である。チャトウィン弦楽四重奏曲『ソングライン』(String Quartet No 3 - The Songlines (1988 rev. 1993) 26')を聴くことはなかった。


 Kevin Volans(Official site)


ケヴィン・ヴォランズには1993年にロンドンで初演されたオペラ作品『風の靴を履いた男(The Man With Footsoles of Wind (1988-1993) 90')』がある。ライナーノートによれば、このオペラはそもそもチャトウィンの着想によるもので、詩人アルチュール・ランボーの人生と作品に基づいた作品だという。別の解説によれば(Kevin Volans : The Man With Footsoles of Wind(ChesterNovello))、「このオペラの主要部は、エチオピアの砂漠を舞台にした、ブルース・チャトウィンの本のような、<想像的な旅の途上での想像的な会話>からなり、それは一種の<ソングライン>のようなランボーのアフリカ流浪を予想させる詩集『地獄の季節』に依拠している」らしい。聞いてみたい、観てみたい。私の勝手な想像では、それはきっとチャトウィンランボーによる想像的な旅における想像的な会話に違いない。そうだとすれば、なんとリアルで魅力的なことか。いずれにせよ、ケヴィン・ヴォランズにとってはチャトウィンもまた「風の靴を履いた男」だったに違いない。


蛇足ながら、ケヴィン・ヴォランズは2008年7月にオックスフォード大学で開催されたブルース・チャトウィン会議で、チャトウィンの著作に見られる芭蕉の影響を文体と構造の観点から論じる発表を行った。その原稿は公式サイトにアップされている。

SOME JAPANESE INFLUENCES ON STYLE AND STRUCTURE IN BRUCE CHATWIN’S WRITING

*1:AIDSの発症であったと言われる。

*2:このランボーの言葉は、『ソングライン』に挿入された夥しい引用と小文からなる「ノートから(From the Notebook)」にも見られる。

*3:邦訳からの引用に際して、原書を参照して、明らかな誤訳を訂正し、楽曲の題名の表記の仕方を中途半端な「英語のカタカナ表記(日本語)」から「日本語(英語)」に改めた。