村上節太郎(1909–1995)の昭和の写真記録

「海女」について調べていて、村上節太郎が昭和21年に三崎(伊方町)で撮影した韓国済州島の海女(チャムス)の写真が残っていることを知って驚いた。


その解説にはこうある。

この写真が貴重なのは、韓国済州島の海女、チャムスを撮っていることである。チャムスは昭和10年から20年代半ばまで三崎の沿岸まで出稼ぎに来て、てんぐさやあわびなどを獲っていた。写真を見ると、女性は中央に肩紐が付いたワンピース型の木綿の水着を着ている。これはチャムス独特の仕事着で、「ソジュンギ」といわれるもの。足元にはタンポと呼ばれる木製の浮樽も見える。村上節太郎はほとんど写真が残っていない三崎におけるチャムスの姿を見事にカメラで記録している。


しかも、その写真を含めた村上節太郎の写真30枚が「愛媛県歴史文化博物館 学芸員ブログ『研究室から』」で紹介されている。その第1回目村上節太郎写真1 膨大に残るフィルムによれば、村上節太郎(1909–1995)は愛媛出身の地理学者で、カメラをこよなく愛し、愛媛を中心として国内各地の昭和の民俗、景観などを伝える20万枚を越える写真を残したという。

明治42年に現在の内子町平岡に生まれた村上節太郎は、昭和32年に愛媛大学教授となり、同35年に「日本柑橘栽培地域の研究」により理学博士の学位を受けるなど、柑橘類研究の第一人者として知られる。また、カメラをこよなく愛し、大正11年に県立大洲中学校に入学、以来平成7年に亡くなるまで、膨大な写真を撮影した。その数はフィルムだけでも推定20万枚、プリントも含めると36万枚にも及ぶ。

 撮影地は日本だけでなく海外にも及ぶが、最も枚数を費やしているのが地元の愛媛で撮影された写真で、同じポイントにも何度も足を運び撮影を繰り返している。そのため、写真には愛媛に生きる人々の暮らしが、変化も含めてありのままに写し出されている。このシリーズでは、愛媛の記憶庫ともいえる「村上節太郎写真」から、ちょっと昔の愛媛の姿、暮らしを紹介したい。


宮本常一の10万枚の写真を連想させる。


参照