本書の「第一章 純潔の墓標------原口統三」と「第二章 友よ、私が死んだからとて------長澤延子」を読む。南無さんの「記憶の復讐」や、海さんの「最期の歌」のことを思った。
詩人である長澤延子とか(「南無の日記」2010-07-04)
記憶というものは時としては残酷である(「南無の日記」2010-07-09)
二十歳で死ぬ自分を言語あるいは世間に「彼」と呼ばせて自殺した原口統三が言わば人生の証人として立っていた場処、十七歳で死ぬ自分を言語あるいは世間に「友」あるいは「あなた」と呼ばせて自殺した長澤延子がいわば人生の証人として立っていた場処にはどれほどの差異があるだろうか、と考えていた。人称は反転したり、転位したりする。「私」は必ずしも私ではないし、「彼」や「あなた」は私かもしれない。人称に騙されない。人称の迷宮を粉砕する。「悲しみのエナジー」を「死ぬな生きろ」(藤原新也)じゃないけど「死ぬほど生きるパワー」に転化できないか。
例えば、
2010年になっても、日米安保条約によってアメリカ軍は日本の法律が適用されない治外法権にあり、そのために沖縄の人が被る迷惑や被害は終わりそうにありません。米軍基地の存在が雇用と経済と人権の矛盾の象徴でありながら、その不幸さえも沖縄の歴史的な特徴のように見えてくるのは、なぜでしょうか。
奄美大島育ちである私がアメリカの文化に浸食されている以上に、沖縄の文化はアメリカ文化との混合の度合いが強く、チャンプルー文化と呼ばれます。不幸を克服する知恵や工夫も、結局は沖縄の不可解な魅力の一つなのかもしれません。
(中略)
沖縄に道州制が導入されようと、されまいと、経済が上向きになろうと、なるまいと、独自の文化があってこそなのです。