匂いのない光景の消息


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文化勲章をのうのうと受賞するような詩人を敵視し、CMに使われるような詩は詩として認めないと公言してはばからない辺見庸の詩文集『生首』の最後の詩に「雲脂(ふけ)」が出てきて、軽い衝撃を受けた。花や蛍の詩はありふれているが、フケが登場する詩は寡聞にして二つしか知らない。

次のことどもが
まもなく証されよう。
−−生と死の両岸のあわいには、
川も海も、じつは、
溺れいたる時の
真白い浜辺さえもない事実が。
なのに、高い通行税を払いつづけてきた滑稽が。
十万年の不可逆的変化が、
水蛸一ぱいがへらへら笑ってなしとげる
吸盤の脱皮ほどの
意味すらもちえていないことが。
愛でも慈しみでも謀反でもない、
ただ資本の甘い酖毒(ちんどく)に
酔いしれていただけのことが。
この百年の
始値終値の差が、たんに
雲脂(ふけ)のひとかけらであることが−−。
だから、神に詫びるな。
母に詫びるな。
赦しを乞うな。
さあ五分前、
無表情に一発、放屁せよ。


 辺見庸「世界消滅五分前」(『生首』毎日新聞社、2010年3月)から


へそ曲がりの私には、神や母はさておき、水蛸や雲脂には詫びた方がいいのではないかとも思えたが、思いがけず「雲脂」の一語が忘れかけていたことを蘇らせてくれたことに感謝した。李静和のフケの詩が拓いて見せてくれた言葉が死ぬ瞬間の匂いのない光景とその消息である。



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それはフケのせいなのよ


言葉が死ぬ瞬間(とき)がある。
それは時間の停止とはちがう。
意味の死でもない。
そしてまた 生き返ってくるとき
なぜかそこには匂いが落ちている。
匂いがない。だから痕跡もない。フケ。


〝それはフケのせいなのよ。それを払いたかったの〟
村の人が怖がる父のことが
子供の私には不思議に思え
なぜアポジと一緒になったの と
ある日たずねると 母はぽつんと言った。
ぼろの野戦ジャンパー 刈り上げた髪
その父の首の後ろにくっついた白い塊。
光のない山の生活
その後続いた長い独房の時間
年月は父の体に まるで皮膜のような
白いフケの墓地を作ってしまった。
人に見せまいと
新婚の初夜から毎晩のように続いた


フ ケ 解 か し


解かしても解かしても落ちてくる
あのしつこい白い塊に
子供のように母に身をまかせ
ただ呆然と座りこんで
自分の体に無力になっている父の後ろ姿に
母は毎晩泣き続けるしかなかった。
こびりついているフケの塊


落ちようもないフケの塊。
島の海風に濡れた桜の花のように
水をはらんだ木蓮のように
しつこくこびりついている白い葉っぱ。
それは幻想の不在の場所。
いっさいの幻想が排除されたそこには
具体性 それだけが残る。
のたくらない 匂いがない
物体 白い塊。


それは生き物に
あらかじめくっついている死なのか
出会い頭に
いずれ天から落ちてくる白い雪なのか。


 李静和『求めの政治学岩波書店、2004年12月


言葉が死ぬ瞬間、いっさいの幻想が排除されたそこには現実から突出した匂いのない具体物だけが残る。身も心も壊された父の髪から解かしても解かしても落ちてくるフケ。しつこくこびりついているフケ。死の隠喩。毎晩泣きながら「フケ解かし」した母の口から言葉が生き返ってくるとき、なぜかそこには懐かしい匂いが落ちている。


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