ムクゲ(木槿, Rose of Sharon, Hibiscus syriacus)
ムクゲの花の
凛と咲く 夏の日
いのちを 削って
過ぎし日を
綴れ
さすらいの旅の果て
蒼穹(あおぞら)の記憶を辿り
ムクゲの花の うれしい夏の日
ムクゲの花の 美しい夏の日
自称「猿曳き芸人」の村崎修二さんは2000年の夏、佐渡の旅の途中、猛暑のなかで脱水症を起こし、無住のお寺ともお堂ともつかない建物の日陰の縁で横になった。しばらくして気分が良くなって、ふと前方を見ると白い小さなムクゲの花が目にとまった。よろけながら近づいてみると、暑いのに花たちは緑をしっかりつけてつよく咲いていた。村崎さんはお堂まで戻って、ぼーっとその花をしばらくながめていたという。そのときポロッと手帖に書き留めたのが、上の歌詞である。
平民さん(id:heimin)がいつのまにか佐渡に「漂着」し、朱鷺草鷺草!の花を愛でる写真を含めて佐渡にオマージュを捧げるような一連の写真を掲載していた。それを見て、沖浦和光編『佐渡の風土と被差別民』に収録された、宮本常一の志を継いで佐渡と深く関わってきた村崎修二さんの「猿曵き佐渡をゆく」を思い出し読み直していた。その冒頭に上の「ムクゲの花」が印象的な歌詞が置かれている。また、同書に収録された「佐渡・昭和五十年の冬の記憶」と題した荒川健一の冬の佐渡の一連の写真も忘れがたい。特に「賽の河原」の写真は圧巻である。
そういえば、沖家室島の松本昭司さんが以前教えてくれた、今や世界を巡回する太鼓集団に成長した鼓童の拠点は佐渡だった。村崎修二さんはかつて宮本常一から、鼓童と仲良くなっていろいろなことを伝えてやってほしいと頼まれた経緯がある。村崎修二さんは被差別民に関わる芸能の歴史をふまえて、現代におけるその復活や継承という困難な課題を引き受けてきたのだった。
ところで、佐渡は縄文遺跡の宝庫であり、また、かつては「文化の十字路」であったといわれるほど様々な伝承も残されている。そのなかで特に気にかかっているのは、沖浦和光も記しているもともとはツングース系らしい「粛慎人(みしはせびと)」の伝承である。
『日本書紀』によれば、544年には「粛慎人(みしはせびと)」が船で佐渡に漂着したという伝承が記されている。彼らは北海道東部にいたオホーツク海系の海民だったと思われる。蝦夷の文化圏から伝わったとみられる文物も島内各地の遺跡から出ている。(10頁)
北前船なんかよりも千年も前のことである。想像力が刺激される。私もいつか北海道から佐渡に「漂着」するかもしれない。
あっ、そうだ。ニコラ・ブーヴィエも1965年に佐渡に「漂着」したのだった。残念ながら、佐渡に関する文章は残されていないが、佐渡の相川で撮られた非常に印象的な老人の横顔の写真が一枚だけある。
Nicolas Bouvier: Oeuvres, col. Quatro, Éd. Gallimard, 2004
参照