中野さん、語る





サフラン公園の東屋で横になって涼んでいる人がいた。簡易枕持参だ。さすが、やっぱり、中野さんだった。私の敬愛する町内の世話役の一人。その行動力、活動範囲は傑出している。老人から子供まで、町内で中野さんの顔を知らない人はおそらくいない。東北訛りのように聞こえる柔らかい話し方も魅力的だ。私もひと休みがてら隣に座って話した。風太郎時代からの顔なじみだが、いつも仲間の人達の輪の中にいて、まともに話す機会はいままでなかった。驚いた。故郷は利尻島だという。よく人から東北出身と間違えられるが、自分の言葉は島で自然と習い覚えたものだ。島に東北出身の人間が多かったことや東北と行き来する人間が多かったせいではないかという。中野さんは漁師の家に生まれ、昭和30年頃までは自分も漁師をやり、畑もやった。突然魚が来なくなり、漁師は止め、いろいろとあった末に札幌にやってきた。札幌暮らしは40年になる。この土地は20年。ときどき島の風景を思い出すという。畑仕事で重たいリヤカーを引いて歩いているときに眺めた風景なんかを。島には昭和39年に一度行ったきり。利尻島礼文島の住人ならみんな知っているが、もう帰ることはないだろう。「札幌が第二の故郷なんだね?」と聞いたら、ちょっと間をおいてから「そうだなあ」としみじみと言った。ビデオの中で語っているように、中野さんのルーツは石川県にある。日本海はつながっていることを今更ながらに感じた。サフラン公園でよく会う礼文島出身の同姓の中野のおばあさんとは直接の縁はないという。