礼文島のヴィーナス


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「島」への関心から読んだ木内宏『礼文島、北深く』(新潮社、1985年)のなかで「礼文島のヴィーナス」に再会した。礼文島から出土したセイウチの牙で作られたいわゆる「オホーツク文化」(アイヌ以前に、礼文島から稚内を経て根室半島に至るオホーツク海沿岸に、八世紀から十三世紀ころまで住んでいたとされる人たちの文化)の女性の彫像である。実物に触れる機会を得た木内宏はそれに成熟した女の面影を見た。

アイヌの長編叙事詩ユーカラ』に出てくるヤウンクル(内陸の人)とレプンクル(沖の人)の戦いの物語には、アイヌの先祖ヤウンクルの有名な英雄ポイヤウンペが登場し、異民族レプンクルを倒す。アイヌのすぐれた言語学者知里真志保の解釈に従えば、レプンクルがどうやらオホーツク文化人らしいのだ。彼らの対立抗争にどのような時代的背景があったかは知るべくもないが、物語ではヤウンクルがレプンクルの女性を奪ったことが戦さの発端になった。レプンシリ(礼文島)に絶世の美女でもいたのだろうか。女を略奪するのだから、夜陰に乗ずるか、男たちが宇遠内にトド狩りにでもでかけていた留守を狙い、香深井の住居を襲ったか……。
 私は略奪されたレプンクルの美女をほうふつとさせるような女性に出会ったことがある。
 セイウチの牙で作られた高さ十三センチの彼女は、面長で、目もとがすずしく、顎がやや張っている。胸のふくらみが少し硬いが、くびれた腰は成熟した女体の量感を漂わせ、細い襞のスカートのなかで丸味のあるたっぷりした尻が息づいている。船泊の浄土宗長昌寺の住職、長尾了円さんが収集したオホーツク文化人の遺物のひとつだった。

 木内宏『礼文島、北深く』新潮社、1985年、211頁〜212頁



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礼文島のヴィーナス」(北構保男氏撮影、本書215頁)


司馬遼太郎稚内止まりで礼文島には渡らず、「礼文島のヴィーナス」の実物を見ることはなかったが、その正面像の写真だけから、十六、七の巫女(シャーマン)であろうと解釈したのだった(『オホーツク街道朝日文庫、1997年、216頁)。


木内宏が見た実物が司馬遼太郎が見た写真に写る彫像と同一なのかどうか確かめる術は今ない。もしまだあるなら、礼文島船泊の長昌寺を訪ねて実物を拝見したいものだ。


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北辺の海の民・モヨロ貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

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