七年ほど前に、金石範は辺見庸の政治的メッセージが小説ではないのに政治を超えた「文学」たりえている所以は、身をもって世界と関係することを通してつくられた「文体」にこそあるとして、次のように語った。

- 作者: 辺見庸
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/11/15
- メディア: 文庫
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人に先んじて社会の酸欠を感知する感性に支えられた極限の想像力がまともに世界に向き合えばどうなるか。極限の果ては〈狂〉に行きつくだろう。それを辺見庸の文体は、力、抵抗へと転生する。
…真実の正気が狂気に行きつくのはなぜか。正気に見える世界が狂気ではないのか。正気であって、そしてなお狂気に行きつかない。狂の時代に抗うには、それしかないだろう。
私は本シリーズで、辺見庸がこれほどまでに徹底して“狂”の時代に立ち向かっているそこに、作家の姿を見る。世に作家は辺見庸一人ではあるまいに。
文学と政治。時代錯誤の老人のつぶやきか。そのように見る向きがあるなら、戦後六十年、脱植民地化を果たしていない、今の日本をどう見るか。
金石範「解説」
知念ウシ(ちにんうしぃ)さんなら、国家というパラノイアに抗して、尖閣諸島はどの国家の領土でもありゃしない、と言うことだろう。