夢の大道



大道商人のアジア

大道商人のアジア


和賀正樹さんは日本列島からはほとんど消えてしまった「大道商人」を捜し求めて、90年代後半から00年代前半にかけて、アジア各国(中国、韓国、モンゴル、台湾、フィリピン、ベトナム、タイ、ビルマカンボジア、マレーシア、インドネシア)を旅した。今から十年ほど前とはいえ、すでにそれらの国々もグローバリゼーションの荒波に容赦なく揉まれていた。だが、和賀正樹さんは各国の街角、路上でしたたかに生き残る154人の「大道商人」に出会った。そして彼らの簡素な商売と生き様に深く魅了されていった。

 近代化が進む一途のアジア。その傍らでしたたかに生き残る、懐かしい大道商人たちいがいる。
 生まれ育った熊野国(現和歌山県)新宮の路地にも、鋳掛け屋、傘の修繕屋、包丁の研ぎ屋がつかのま、茣蓙(ござ)一枚の店を出していた。夏はわらび餅、冬になるとたこ焼きの屋台、正月には伊勢大神楽の獅子舞がやってきた。子どもたちはなけなしの十円玉を握りしめて、ひいきの屋台に集まった。中上健次の母・千里さんも、改造した乳母車にシビ(マグロ)やサエラ(サンマ)を積み、魚の行商で一家を支えてきたひとりだ。
 六〇年代、スーパーマーケットは珍しく、コンビニエンスストアは影も形もなかった。しかし、道には剥き出しの営みがあった。道を遊び、食堂、憩い、学び、社交の場とし、天下の公道から日々の糧を得る人びとの姿が当然のようにあった。
 家族を喰わしていくぞ。世間と伍してやるぞ。身を立てるぞ。店舗もなく小資本だけど、知恵と工夫で世を渡ってやるぞ。
 いつからだろう。そんな不敵な彼らが、きれいに日本列島から消えていったのは。進歩、利便、功利、合理性が奪い取っていく生活の多彩さ、陰翳の深さ、グローバリゼーションの波は、どんどんと都市を地方を味気なく平準化させていくようだ・・・。
 モンゴルやビルマの人には苗字がない。タイではお墓をつくらない。インドネシア小スンダ列島では、家族そろっての食事はなく、おのおのですませる。中国人は昔から夫婦別姓だ。人は生まれてきたら、一生懸命生きるだけさ。
 道に生まれ、道を褥とし、道に伏す人びとから教えられたことの、なんと多いことか。
 簡素な品揃え。限られた客。・・・これで生活が成り立つのだろうか、と心配させる商人もいた。すると、あまり難しく考えるな、人はどんなふうにでも生きていける、幸せも不幸せも自分のこころが決めるんだと、逆に勇気づけられることもあった。
 道は異界へのとば口、そこに生きるのは境界(ボーダー)の人々だ。多様性横溢のアジア、今ならまだ間に合う。手帳とカメラを手に、ぼくは「大道商人」という名の学校に通い始めた。(4頁〜5頁)


「大道商人」の「大道」には「人の守るべき正しい道」あるいは「すぐれた教え」といった意味があることを思い起こす。


和賀正樹さんが愛情こめて紹介する154人の大道商人の商売は下の通りである。商売名のひとつひとつを書き写しているだけでも幸せな気持ちになるから不思議だ。

中国では、お茶の葉売り、豆腐製品売り、練炭売り、糖葫芦(タンフーバー)売り、紙芝居屋、線香売り、八百屋、なつめ売り、太刀魚売り、輪タク屋、ホルモン売り、賭け将棋屋、手相見、小鳥売り、散髪屋、人相見、ビンロウ売り、街頭歯医者、豆花売り、切手売り、鶏売り、砂糖きび売り、レモン水売りの24人。


韓国では、車内雑貨屋、移動喫茶店、パソコン印形屋、高麗人参汁売り、むかでエキス売り、ごきぶり駆除薬売り、どじょう売り、豆売りの8人。


モンゴルでは、街頭写真館、少年菓子売り、酸乳売り、民族帽子売りの4人。


台湾では、鼈甲飴細工、湿布売り、大根餅売り、肉円売り、台湾蓼売り、臭豆腐売りの6人。


フィリピンでは、海産物売り、へちま売り、マンゴ売り、落花生売り、少年塩売り、毛糸屋*1の6人。


ベトナムでは、ハンモック売り、菊花茶売り、小鳥の餌売り、まんじゅう屋、魚醤売り、米の粉うどん売り、植木鉢売り、もち餅菓子売り、焼きおにぎり売り、少年靴磨き、骨董屋、家鴨の卵売り、羅宇屋、ぜんざい売り、フランスパン売り、バナナのつぼみ売り、花売り、陶磁器売りの18人。


タイでは、護身仏売り、体重計り、パン売り、薬草茶売りの4人。


ビルマでは、きのこ売り、新聞売り、氷水売り、放鳥師、果物売り、鳩の餌売り、タナカ売り、揚げ菓子売りの8人。


カンボジアでは、私製タバコ売り、ペットショップ、フランスパン売り、パウチ屋、小間物売り、はたき売り、お灸屋、印刷取り次ぎ、放鳥師、辻音楽師、塩蜆(しじみ)売り、自転車修理屋、精霊棚売り、一膳飯屋、ヤシ酒売り、家鴨の餌売り、おこわ売り、ココヤシ売り、ガソリン売り、水菓子売り、アンコィン売り、賭け屋の22人。


マレーシアでは、按摩師、日除け屋、鹿の角売り、手品師、ヒルの塗り薬売り、移動パン屋、魚の置き物売り、タバコの木売り、膏薬売り、キィホルダー売り、代書屋、繕い屋、蜂蜜売り、薬油売り、犬売り(盲人の菓子売り)、黒香米売りの16人。


インドネシアでは、バナナ売り、ジャムゥ売り、唐辛子売り、ドーナツ売り、香具師、調味料売り、抱き枕売り、コーラン売り、果物サラダ屋、サラック売り、かつお売り、ちまき売り、なれ鮨売り、小間物屋、燻製魚売り、サゴヤシ粉売り、焼き菓子売り、アイスクリーム売り、靴の修繕屋、時計屋、アイスキャンディー屋、ほうき売り、にんにく売り、少年お乞食(傘さし、渡し屋)、少年ビニール袋売り、賭博師、コーヒー豆売り、野豚売り、犬の肉売り、はんだ売り、サゴヤシパン売り、鶏売り、髭生え薬売り、即席入墨売り、少年ドリアン売り、蛇使いの少女、おこわ売り、民芸品屋の38人。


ご覧のように、かつて日本列島でも見られた懐かしい商売があるかと思えば、聞いたことのない商売もある。その中には名前からだいだい見当がつく商売もあれば、名前からは一体どんな商売なのか見当がつかないものもある。


例えば、ビルマカンボジアの「放鳥師」(1996年当時11歳の少年と2000年当時14歳の少年)。放鳥師? それは、文字通り、客の目の前で鳥を放つ商売である!? 


ビルマの放鳥師(ベイメー・ネッ・ティエ)のブ・タウ君(1996年当時11歳)の場合は、9歳の弟が畑で捕まえてきた雀を五十羽籠に入れて、朝の八時から夕方まで繁華街、市場、病院、お寺などを回る。籠に閉じ込めた雀を客の目の前で空に放つことに金を払ってもらうという俄には信じられない商売である。そんな商売が成り立つ背景には、敬虔な小乗仏教徒が人口の大多数を占めると言われるビルマカンボジアでは、仏教の不殺生の戒律が人々の生活の中に息づいているということがある。日本では、捕らえられた生き物を山野や池沼に放つ放生会(ほうじょうえ)の儀式や、大きな催しが始まる際に大量の鳩を空に放つ儀式がほそぼそと継承されてるが、あくまで日常の生活からはかけ離れた儀式にすぎない。ビルマカンボジアでは、月に四日あるお釈迦様の日だけでなく、死んだ親の命日や自分の結婚記念日や誕生日に、路上の放鳥師から雀を買って自由にしてやることが、善根あるいは功徳を積むためのごく当たり前の行いであり続けているのである。しかし、それは仏教の一戒律を根拠に説明され尽すものではないように思われる。空に放たれる鳥(の群れ)のイメージには人の心を一瞬にして最も近くて最も遠い場所、つまり「大道」に運び去る力があるような気がする。

*1:ミンダナオ島コタバトの少女(当時13歳)の毛糸屋は1983年の取材である。