台中の好小子、唐山茶、春水堂




高速バスで台北から台中に向かう途中の景色



18日、青島から上海経由で台北に飛び、台北から高速バスで台中に入った。こう書くと簡単だが、実際には私にとっては非常に煩わしい中華人民共和国を出国するための税関の手続きと、中華民国に入国するための税関の手続きを経なければならない。しかも両国では通用する貨幣も異なるから、空港やホテルの銀行支店でそれなりに両替しておかなければならない。言語の違いはさておき、国家間の障壁のせいで心の中にも壁が出来、無機的な規則に従わざるをえないことの野暮さ加減に苛立たしさを覚える。必要に迫られて「ウォー ヤオ ファン チェン(我要換銭)」という一文を覚えた。そういえば、深圳のコンビニで何も考えずに台湾ドルの紙幣で支払おうとして、店員に強い口調で咎められたことがあった。同じ地球上でなんと言う無駄が横行していることかなどと思ったりもする。上海では空港の外に出る時間はなかった。もし時間が取れれば、今年の夏まで私のゼミに参加していた葫さんと范さんに再会できたかもしれないと思うと、ちょっと残念だった。青島空港で搭乗時刻まで出発ロビーにある喫茶店で時間を潰していたとき、周りには白系ロシア人中央アジア人や東南アジア系の人たちが多かったのを思い出す。青島でのビジネスチャンスを狙って多くの人達が大陸を移動していると感じた。ちなみに、その店ではコーヒーを注文したつもりがエスプレッソが出てきたり、筆談で「水」を頼んだら、お湯が出てきたりして、面白かった。


青島は寒かったし、開発真っ只中の寒々しい風景が続く経済技術開発区でほとんどの時間を過ごしたせいもあって、暖かく緑の多い柔らかい風景の続く台湾では、思わず「戻って来た」と安堵してしまった。


青島の二日目の夜を思い出す。二日目に宿泊したホテルは空港の近くだった。開発区ではなかったが、ホテルの周囲には大きなレストランと別のホテル以外には店らしきものは一軒もない区域だった。ホテルのフロントで近くにコンビニはないか尋ねたら、徒歩5分のところに超市(スーパーマーケット)があるという返事だった。暗くなりかけた頃、教えられた道を歩いてみた。必要以上に広く誇りっぽい道路には車は走っていない。歩道を往来する人も数えるほどしかいない。この先に本当にスーパーはあるんだろうかと心細くなった。しばらく行くと、前方の四つ角に白熱灯に照らされた屋台が見えた。近づくと各種の野菜と肉が並べられ、油の入った鍋が準備中だった。その角を左に折れた少し先に「超市」の看板が見えた。平屋の建物が奥まったところに建っていて、入口から明かりが漏れていた。スーパーという雰囲気ではなかったが、思い切って入ってみた。すると、薄暗い店内にはたしかに数列の棚に食料品が所狭しと置かれていた。入口傍で中年の女性が店番をしていた。店内を一通り見て回った。バラエティに富んだカップ麺と見たことのない各種パンにちょっと惹かれたが、原材料や製造年月日が不明だったので買わなかった。冷蔵庫はなかった。缶詰などの他の食品と並んで棚に置かれた青島ビールを2缶だけ買った。






さて、台中に入ると、檳榔(ビンロウ)売りの看板と大量のスクーターが目についた。東南アジアや南アジアの旅行記などでよく話題にのぼる檳榔(ビンロウ)を味わってみたかったが、今回は果たせなかった。
















台中市西屯区の台中港路に面したホテルにチャックインした時にはすでに午後6時近かった。私の希望もあって、晩飯は同行したOさんがお気に入りのホテル近くの大衆食堂「好小子」に行った。そこがとても良かった。古いビルの一階が通りに面して吹き抜きの南国らしい開放的な空間になっていて、そこに肉と野菜などの食材の詰ったガラスケースと調理台が二つ、そして粗末なテーブルと円椅子がやや乱雑に置かれていた。メニューから選ぶこともできるし、自分の目で食材を確かめて選び、目の前で調理してもらうこともできる。すでに何度かこの店で食べたことのあるOさんに薦められた料理を注文した他に、私は三種類ある麺のうち米の麺を選び、一品注文した。ビールは言うまでもなく台湾ビールを注文した。飲み物は店の奥にある冷蔵庫から客が勝手に持って来るという自助システムだった。その店は、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、そして弟さんの6人の家族が適度に交替しながら手分けして切り回していたようだった。皆明るく朗らかだった。全体的にイイ加減で臨機応変な雰囲気が非常に好ましかった。ついつい調子に乗って、写真をたくさん撮らせてもらった。愉快だった。






食後、賑やかな街を散歩していて目にとまった「唐山茶」で、同行したTさんの勧めで甘いナツメ茶を飲んだ。体の奥で凝り固まった疲れが外に溶け出してくるようだった。唐山茶も好小子と同じように吹き抜き構造で気分がよかった。




歩道橋があると渡ってみたくなる。台中港路に架かる歩道橋の上から高層ビル街を眺める。





それにしてもスクーターが多い。中高年のカップルや親子の二人乗りもよく見かけた。スクーターが暮らしに根深く浸透しているのが感じられた。


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翌19日午後、北區にあるT大学で仕事を終え、R博士の案内で大学そばのパールミルクティーの発祥地として知られる喫茶店「春水堂」で、M博士とK博士とともに、シェイクティーとパールミルクティーを飲みながら会食した。タピオカティーとも呼ばれるパールミルクティーは、ミルクティーに大粒のタピオカパールを入れたもの。太めのストローでタピオカパールを強めに吸い込む感覚とタピオカの弾力のある触感が受けているらしい。





会食後、春水堂前の房状の果実をたくさんつけた街路樹の下のベンチに腰掛けて、R博士とK博士と世間話をする。コミュニケーション論が専門の才気煥発で笑顔の素敵な社会学博士Kさんとは台湾の少数民族、少数言語について少し話すことができた。その後、R博士が呼んでくれたタクシーで台中駅に向かう。





タクシーの運転手は日本の植民地時代の建物をいくつか教えてくれた。






台中駅から新幹線で台北に向かう。台北に近づくにつれ空は曇り、遠方は靄に包まれはじめた。台北は雨だった。