台北、最後の夜に




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19日夕方、台北駅に着いて、タクシー乗り場を探し歩いていたら、どこからともなく非常に小柄で色黒のおじさんが近づいて来て身振り手振りを交えながら大声でタクシー乗り場の場所を教えてくれた。通訳してくれたTさんによれば、そのおじさんはかなり訛りの強い言葉を話していたという。私には「タクシー」という単語しか聞き取れなかった。タクシー乗り場は駅構内の地下にあった。乗り込んだタクシーの運転手范さんは日本語を少し話す威勢のいい人だった。



地上では小雨の中、相変わらず大量のスクーターが行き来していた。雨合羽を着ているドライバーが多かった。



淡水河に架かる橋を渡る。この河の河口には淡水という古い港町があると聞いた。いつか行ってみたい。



小高い山の斜面に独特の墓が不規則に並ぶ。







台湾桃園国際空港(臺灣桃園國際機場)に近い桃園市のホテルに着いた頃には雨脚が強くなっていた。腹が減っていたが、疲れも溜まっていたので遠出ははなから諦めた。近場で適当な料理屋を捜そうと思っていた。8階の部屋の窓から見える「taimall」が少し気になっていた。雨が小降りになるのを見計らって出かけた。ホテルの近くにはセブンイレブンがあった。入りたくなる料理店は見つからなかった。タイモールに入ってみることにした。そこでももし店が見つからなかったら、セブンイレブンでおでんでも買って一杯やろうと思った。タイモールは最近日本でも増えている巨大なショッピングセンターだった。地上7階地下2階から成り、地下はスポーツジムとスポーツ用品売場、地上1階から4階までは家庭製品売場、5階と6階に土産物屋と書店と大小多数の各種飲食店、7階には映画館が入っている。エスカレーターで5階まで素通りし、飲食店を見て回った。中華料理の他にトンカツやラーメンの店もあったが、オープンな韓国料理の店に惹かれた。細長いU字形のカウンターだけの店である。メニューは鍋料理だけ。席はほぼ満席。客が食べているところが丸見えだった。美味そうだった。腹が鳴った。そこに決めた。いったんホテルに戻り、今回の出張同行者であるOさんとTさんに声をかける。風邪気味のOさんはすでにセブンイレブンで買った軽食で済ませたという。疲れ知らずのTさんは私の提案に元気よく乗ってきた。Tさんの準備を待って15分後に再びタイモール5階に向かった。店の名前は失念した。鍋料理といっても、ジンギスカン鍋に似た中央が盛り上がった鍋の周囲にお湯を張り、そこで豆腐と各種野菜などを煮て、鍋中央で肉を焼くという焼肉+鍋料理である。肉は牛、豚、羊、鳥からひとつ選ぶ。白米とキムチとスープが付いて、188元。1元約2.7円だから、500円くらい。私は牛肉を選んだ。案の定美味かった。安くてボリュームもあり栄養のバランスもよい。U字形のカウンターと焼肉+鍋料理という思いがけない取り合わせは意外にもよいアイデアだと感じた。一人で肉を焼き鍋をつついていても、カウンターに並んだ見知らぬ客同士がその時だけほぼ同じものを一緒に食べる仲間のように感じられたからである。



食後、同じ5階にある書店「金石堂圖書」で台湾訪問記念に『景観樹木鑑賞図鑑』を590元(約1600円)で買った。この種の日本の図鑑に比べると収録種も200種と少なく、素人向けにもかかわらず、専門的な分類に頼って編集された雑な図鑑だが、葉や果実の比較的鮮明な写真が多数掲載されているところに惹かれた。中文名も調べられる。



セブンイレブンで台湾ビールを2缶買った。部屋で今回の様々な出会いを祝して独り乾杯した。出張最後の夜は静かに更けて行った。


深圳でも青島でも中国大陸では人々は土地から遊離していると感じた。それに対して台湾という島では人々は土地に根をおろしているように感じた。それは相対的な違いに過ぎないかもしれない。国家体制の違いもある。だが、たとえ一時的だとしてもある場所で暮らす暮らし方の深さというか、要するに感受性の深さという点では、大陸の北よりも南、大陸よりも島で暮らす人たちの方がより深く、一種の落ち着き方をわきまえているような気がした。大陸の人達はどこか正体不明の不安に駆られているようにも感じた。


ある夫婦らしき男女のことが忘れられない。深圳のたしか深南大道を東に向かって走る車に乗っている時だった。歳は四、五十代と思しき二胡を持った盲目の男の腕を引きながら、物乞いして歩く女を見かけた。信号待ちで停車した車の横にその夫婦らしき二人がどこからともなく忽然と姿を現したのだった。女は運転手に何やら声をかけていたが、運転手は前方を見たまま無視し続けた。後部座席の私は二人から目が離せなかった。女はすぐに諦めたと見えて、男の腕を強く引いて、後ろの車の方に向かおうとした。ところが、男は腕を引っ張る合図の意味を取り違えたらしく、見えないはずの私の方に向かって突然二胡を弾き始めようとしたのである。弓が弦の上を二三度往復した。音は聴こえなかった。それに気づいた女は何か喚きながらさらに強く男の腕を引っ張ったために、男はよろめいて倒れそうになった。その瞬間盲目は演技ではないと確信した。私が思わず、あっ、と声を出したと同時に車は発進し、その二人の姿は後ろに遠ざかって行った。かなり交通量の多い大きな道路での出来事である。盲目の夫に二胡を弾かせて物乞いして歩く女の姿が忘れられない。