ポートレイト 内なる静寂―アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集
占領下日記 1942‐1945〈1〉、占領下日記 1942‐1945〈2〉、占領下日記 1942‐1945〈3〉、花のノートルダム (光文社古典新訳文庫)
1943年2月16日火曜日
ジュネが小説を持って来た。信じがたいすばらしさの三百ページ。《男娼たち(タント)》の神話のあらゆるドラマを創造している。当初の感じでは、こうした主題は取っ付きにくいと思われた(今朝彼にクギを刺しておいた)。次にぼくの軽率を彼に詫びたくなっていた。この小説は恐らく彼の詩よりさらに驚嘆すべきもの。あまりの斬新さが却って真価を分かりにくくしているのだ。 これは立派な一つの世界であり、これと並ぶと、プルーストの世界はディディエ=プジェの絵に似てしまう。ごく細部の線でさえピカソの難解な文字のように燦然と輝いている。猥雑な花、喜劇的な花、悲劇的な花、夜の花、田園の花、薔薇の雪崩、それらが至るところに迸りでている。だがどうすればいいのか? だれでもこの本を手に入れ、広く撒き散らしたくなる。とは言え、それは不可能だ。だが、その不可能なところがとても良い。人を盲目にしてしまう純粋さ、容認しがたい純粋さの見本のようなもの。出せば必ず一騒動あるはず。真物の騒動だ。目下その騒動がぼくの家で、この本とともに自然に静かに炸裂している。ジュネは警察から追われている窃盗犯。彼が姿を消し、彼の作品が破壊されなければ、皆は安心できない。密かに数部ずつ出版していくことになるだろう。
1943年2月22日
ジュネという爆弾。恐るべき、猥雑きわまる、出版不可能の、しかし避けては通れない本が、ここ、このアパルトマンの中にある。どう手をつけたらよいのか誰にも分からない。ただ、それは存在している。これからも存在し続けることだろう。この本が登場できるよう、世間が変わるべきなのだろうか? ぼくにとってこれは今の時代で最大の事件、ぼくは反発し、嫌悪し、そして驚嘆させられる。これは何千という問題を提出する。スキャンダルの軽快なステップと泥棒の忍び足でやってくる。彼は−−それ自体の純粋さ、つまり一個の塊となった純粋さ故に−−純粋なのだ。ジャック・マリタンが、悪魔は悪しか為さないが故に純粋なのだと常々言っていたのと同じ意味で純粋なのだ。ジャン・ジュネの眼差しは人を当惑させ、混乱させる。正しいのは彼で、世間が間違っている。だがどうしようもない。待つだけ。だが何を? 監獄と、法律と、判事と、猥褻罪しか存在しない時に? 真の偉大さとはおそらくミケランジェロのように振る舞うことではないか? 法王を騙し、神を騙す。教会の円天井や公の場に、自分の秘密を忍びこませてしまうこと。嘘をつかなかったなら、プルーストは今よりはるかに広大で揺るぎない世界になっていたはずだ。彼の魔力は、彼の虚偽に由来するのだろうか? ぼくは、ぼくにとって知性の代用品である一種の眠りに身を任せる。一行ずつ丹念に『花のノートルダム』を読み返してみた。すべてがおぞましく、かつ魅力的だ。ジュネは−−繰り返すが−−他を混乱させる。だがそれに関して彼は自分では何もできない。
強調するが、スキャンダルを起こそうという意図はこの本に微塵もない。これを書き記した手は無垢で、あらゆる制約から自由なのだ。『死刑囚』の詩は、さらに他の詩とも関連していた。こちらは黒い天体の孤立ときらめき。
(中略)
昨日の夕食のときヴァレリーにジュネの本の話をした。ぼくは愚かにも、また耄碌の上塗りのように、何かいい知恵はないだろうかと尋ねた。「焼き捨てるのさ」と、彼は言った。慄然とする言葉。ヴァレリーは白痴だ。果たして詩が分かるのだろうか?
1943年3月3日
『花のノートルダム』を買い取る(三万フラン)。ぼくが払ったお金でジュネとエストレル地方に行く。どうか作品を書いてもらいたい。もう少しで、事態は悪いほうに転びかねなかった。彼の名が噂になり始めている。ある名前が噂になり始めるそのスピードときたら。しかも誰も彼の一行さえ知らないというのに。秘密の栄光という、彼にふさわしい栄誉を勝手に奉るのがおもしろいのだろう。
1943年3月15日
肝臓。さまざまの不安。当然それらは溢れ出し、仕事や時代や未来にまで波及していく。ジュネの本は事態を収拾しない。家の中で暗く孤独にきらめいている。フランソワ・サンタンはジャノの部屋に籠もって校訂をしている。文があまりに異質で、長く、また統辞法があまりに斬新なので、間違いなのか文体上の意図なのか考えてしまう。部屋に入ってゆき、サンタンの肩越しに覗きこむ度に、目を瞠はるような一節に突き当たる。この本はまさしく実在している。これは厳然たる事実だ。語られるべきではないことが語られている。この本が出版不可能ということが、いつかこれが輝き、その占めるべき場を占める未来の大変動の確たる証しなのではあるまいか?
1943年4月13日(夕方)
どうやら彼(ジュネ)はあと二、三冊本を書いたら、癩病患者たちの世話をすることに決めたらしい。
1943年6月11日
ジュネが逮捕され、パリに収監されている。ぼくらがエヴィアンに出かけている間に、パリに一文なしで舞い戻ってきたに違いない。本人からの手紙とデュボア、ドノエルからの手紙で事情を知る。ジュネは本を盗んだ。彼はこう書いている。「いつかあんたに、牢獄の方がうまく書けるんだって言ったことを思い出すとおかしくなってね。神様は何をすべきかよくご存知だ。だから、俺にこんなにご親切なのをありがたく思わなくっちゃ。
1943年7月21日水曜日
ぼくらはジュネを救った。そのためにぼくは法廷に驚愕を与えなければならなかった。モーリス・ガルソンがぼくからの書簡を読み上げた。ぼくはそこにこう書いていた。「ジュネを現代最高の作家と考えている。」この一節がジャン・ジュネを終身刑から救った。だが新聞がすぐこの事件に飛びついた。昨日の第一面は、いっせいに書き立てていた。《現代最高の作家、窃盗で逮捕》とか《窃盗詩人》などと。ぼくは少しも後悔していない。手紙にせよ、弁護側の証人として出廷したことにせよ、やるべきことをしたまで。
以下にジュネからの最近の手紙を収録。少しずつ事態が呑みこめてきているらしい。
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ラ・サンテ[14区にある刑務所] 1943年7月26日
親愛なるジャン
やっと今日になってどうやらまともな手紙があんたに書けるようになった。新聞はいろいろ読んだ。ごたごた中傷されないようあんたが用心していたことも、今は嘲笑できない。破廉恥なやり口で自分の名前が、獣みたいな侮蔑の中に引きずりこまれるのを見るのが、どんなことか分かったからだ。それに、もっと気になっているのは、あの結果のことをあんたに言ったとき、おれはあんたにあまり気を使わなかったってこと。ほんとは、あんたにそっと耳打ちしたかった。ジャン、あんたはよくやってくれたよと。おかげでおれは危うく命拾いした。植民地送りになるかもと覚悟はしていた……。あんたが腹を据えて主張してくれた重みは、おれにはちゃんとわかっている。おれが最高の作家かどうか、おれにはわからないし、あんたが本気でそんなことを考えているかどうか(そうじゃないことを願うが)、それもおれにはわからないが、とにかくあんたはおれを助けるためにそう言ってくれた。これにはおれもひっくりかえるほど驚いている。偉ぶっていた奴が、あんたの前にでて、その偉ぶった態度より美しい愛情のもてなしにあって、すっかり悄気てしまっているといった格好だ。ジャン、でもその気持ちは素敵なものだ。あんたがあんなにもはっきり断言したってことがどんなに重要か、おれにはわかっている。自分をごまかしている手合いがどんなに卑劣か、それから、バルタみたいな奴をフランス最高の詩人だなどと公言したことがゲーテにどんな汚点を残しているかってこともおれは百も承知だ。誰もが「ご大層な熱の入れ方で[……]」って言ったものだ。
ここを出られたら、すぐにでも田舎に行くつもりだ。あんたとも滅多に会うこともなくなるだろう。それに、会うとしても二人でだけだ。おれは頭の雑な男だ。クロード博士もそう言っていた。お上品にするには、もうだいぶ手遅れだ。心底おれはごろつきのままさ。そんなことは端っから承知しているべきだったし、あんたのことは遠くからいいなと思っていればよかったのだが、お上品にしているのはおれにはひどくきつかったが、あんまりおれに会いたがっていると聞いたので、つい、あんたと会ってしまった。そう考えることにしている。だって、それしかないからだ! 十年も前からあんたのことは好きだったのに、あんたはそんなことまったく知らなかったわけだから。
ジャン、もうおさらばする。多分トゥレルのところに行くが、もうおれはおれの肉の家族にしか手紙は書けないだろう。手紙を見たのでと言って、ジャノに昨日話した例の迷子の小僧のこと頼んだ、よろしく伝えてほしい。おれたちには出来そうもないが。−−−−−−−−−−
1944年7月1日
サルトルは『大いなる沖』を知っているのだろうか。ぼくはそんなことを考えている。サルトルはきわめて無邪気で、しかも最も基本的な幾つかにまったく無知。かつて彼はジュネにこう言った。「打ち明けると、僕は詩がまったく分からない。」するとジュネは答えた。「じゃ、何も分かりっこない。」
1945年2月21日
ジュネは言っている。「つねにピカソと一緒にいられるピカソは幸運だ。」
1945年4月7日
一年のうちに、ジュネという天才、…を発見した。それなのに何もしていないなどと言われている。これ以上何がお望みなのだろう?