本書はジョナス・メカスの1944年から1955年までの日記を集成したものである。終戦直前のナチスの強制収容所時代、終戦直後の難民キャンプ時代、そして1949年にニューヨークに渡ってからの極貧の時代の日記である。本書は1955年(メカス32歳)の日付なしの日記で終わっている。何度も精神の危機に陥ってはその度に「おれは詩人だ」という運命の炉を激しく燃やすことで人生を越えるようにしてその危機を乗り切った。そして夢のようなニューヨークでも現実は過酷だった。何度も自分に言い聞かせなければならなかった。「おれは詩人だ。ビジネスマンじゃない」と。久しぶりに読み直していて、その最後の日記の最後の一節に心が揺れた。そこでは自分を故郷に帰ることのできないユリシーズ(オデュッセウス)に喩え、故郷のイサカ島で彼を待つ妻ペネロペに宛てた手紙の体裁を借りて、痛切な望郷の念が綴られている。その最後の一節を翻訳してみる。
親愛なるペネロペ。私は今イサカに近いところにいる、、。子供時代のことをよく考える。遊んだり散歩したりした場所のことをね。最初の思い出さ。ジャガイモ畑。蜂蜜。故郷を探して思い出の中をずっと遡っているんだ。最初の頃は昨日のことだけを思い出すようにしてたんだ。それ以前のことは思い出したくなかった。振り返るのが怖かったんだ。ごく最近だよ。自分の思い出がもっともっとずっと前に離れた場所からやって来ることに気づいたのは。
私は今美しい湖の畔にいる。季節は秋。太陽の光が降り注ぐ湖は森に囲まれている。夜は涼しくて、神秘的だ。
ペネロペ。今日湖を見渡してから、振り返って、辺りの景色を見渡した時、突然現在が過去に捕われた感覚に襲われたんだ。ほとんど出発点に舞い戻った感じだった。子供時代のことが強烈に甦ったんだ。ほとんど泣きそうだった。この静かなニューイングランドの湖のほとりに座って、湖面を見渡しながら、ほとんど泣きそうだった。母親と一緒に野原を横切って歩いている自分を見たんだ。自分の小さな手が母親の手に握られていた。野原は赤や黄色の花で燃えていた。すべてがその時その場所で起こったように感じることができたんだ。すべての匂いと色と青い空、、、。私はそこに座って、思い出に揺れていた。
そういえば、メカスも共感するところが多いと語ったソローは『コンコード川とメリマック川の一週間』の中で一箇所だけそれとなく「故郷(home)」に触れている。最終「金曜日」の章の最後で、決して言葉にできない「沈黙(Silence)」について語る文脈で、スコットランドの詩人ウィリアム・ドラモンドの詩集『シオンの花』から次のような意味深長な一連を引用している(445頁)。
自分の道を踏み外さぬよう、
夜のくらい闇を急ぐ巡礼のように、
あなたの故郷について考えなさい。
一日をむなしく過ごしてしまわぬようにきちんと考えなさい。
太陽は西へと移動し、あたなの朝が過ぎ去る。
あたなが生まれて来ることは二度とないのです。