遅い風景:priority air mail について



ストラスブールの小島剛一さんからメールで priority air mail(優先航空郵便)の実情に関する貴重な情報が寄せられた。欧米の郵便事情が窺われる内容である。小島さんによれば、priority mail(優先郵便)は今や「普通郵便」であり、「priority(優先)」 のつかないものは言わば「遅配覚悟郵便」であるという。したがって、priority air mail を前エントリーの私のように「準速達」とみなすことは、欧米の郵便事情に関してあまりに無知でナイーブな所業であるということになる。


そもそも「priority(優先)」というカテゴリーが導入された経緯とその後の実情に関して小島さんは次のように語る。

昔は「priority」というものは無くて、速達でないものは、すべて普通便でした。郵便業務全般の滞りのために遅配が続出し、そのうちにそれが常態になってしまって不評を買ったのですが、「少し高い料金を払えば昔の普通便ぐらいの速さで届ける」という口実の下で事実上の大幅値上げをしたのです。フランス語では「prioritaire」と言います。かなり昔のことで、いつごろ始まったのか覚えていませんが、電子メールが普及し、封書や葉書を郵便で送る庶民が激減した頃です。フランス語圏と英語圏とで同時に出現しましたから、いくつもの国が示し合わせたのでしょう。現在の「priority mail」は、昔の「普通便」よりも遥かに遅くなっています。


なるほど。こうして私は遅ればせながら「priority(優先)」なる郵便カテゴリーの実情とそれが雄弁に物語る欧米の郵便事情を知った。そして、前エントリーで述べた経験は、priority air mail(優先航空郵便) ですらすでにかなりの遅配を覚悟しなければならない事態に至っていることを告げるものだったことも。


ところで、そもそも郵便には届かないかもしれないという不安がたえず付き纏っていると感じている。だから、行方不明にならずに、遅配であっても、ちゃんと届くことの方が驚きに値すると思うこともある。実を言えば、私が注文した古書が、遅配とはいえ、ちゃんと届いたことにむしろ感激していた。その遅さが、郵便制度を支える根本的な何かの脆さを、したがってそれを維持する大変さを改めて教えてくれたような気もする。


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