闘う言語学者、小島剛一


トルコのもう一つの顔 (中公新書)

トルコのもう一つの顔 (中公新書)


近藤さん(id:CUSCUS)の強い勧めで小島剛一著『トルコのもう一つの顔』(中公新書、1991年)を読んだ。子供の頃、少数民族に興味があると言った私に、世界には名も無い民族もあるんだよ、とある年配の人文地理学者が教えてくれたときの驚きの感情が甦った。存在しないことになっているんだ。彼らについて書くこともできないんだ。命取りになるからね、と言ってその人は複雑な笑みを浮かべたのを今でもよく覚えている、、。知ることはできるが、迂闊に公表することはできないことがこの世界にはあることを知ったそれが最初だったかもしれない。そして国家、国民、国語が覆い隠してきたものの蠢きを感じたのもそれが最初だったかもしれない。


20年前の1991年に公刊された本書については、「クルド人問題」を扱った本のなかで必ず参考文献に挙げられていたので、暗示的な書名は覚えていたが、出版時期からみて、あまり深い内容は期待できない一種のトルコ紀行に違いないと勝手に想像して読むのを後回しにしていた。だが本書は一見読み易い旅の物語の装いを引き裂くような、私の想像とはまったくかけ離れた衝撃的な内容の本だった。いわゆる「クルド人問題」は本書ではほんの入口に過ぎない。小島剛一さんは、70年代からすでにより深刻でデリケートな少数民族の問題、すなわち、自分たちの真の姿をひた隠しにして生きている「隠れ民族」、さらにはひた隠しにするあまり自分たちが本当はなんであったかわからなくなってしまった「忘れ民族」が抱える諸問題に言語学者として17年間にわたって「厳正な事実」をコツコツと積み上げながら取り組んで来たのだった。本書には随所に言語学的成果が散りばめられているが、読む者に勇気を与えるのは、「科学的(学問的)」立場を楯に単独でトルコ政府と渡り合いながら時には命懸けで調査研究に取り組んで来た小島剛一さんの姿勢、生き様である。1991年といえば、まだ「クルド」と書いただけで出版社もマスコミも尻込みした時期である。よくも中央公論社はこの本の出版に踏み切ったものだとその英断に感心もした。




漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」


実は先月「旅行人」から公刊されたばかりの、20年ぶりの「続編」である『漂流するトルコ』も読んだ。その中では、『トルコのもう一つの顔』の執筆と出版の経緯にまつわる興味深い幾多のエピソードが綴られている。トルコ政府にとっては「知りすぎた男」である小島さんは1986年9月に「国外退去勧告」を受けたことは『トルコのもう一つの顔』にも書かれていた。その後1988年8月の雨季のさなかに小島さんはネパールにいた。アンナプルナ連峰を一周する長期コースを単独で踏破するためだった。登山ではなく、トレッキングである。驚いたことに、海抜四、五千メートルの山々を踏破するトレッキングにも関わらず、小島さんはいたって軽装備である。登山靴などは履いたことがないという。素足にゴム草履である。小島さんは、自分がなぜ大方の欧米人や日本人のトレッカーとは装備と行動様式が根底的に違うのか、そしてなぜ登山ではなくトレッキングをするのか、その理由について次のように書いている。

登山靴などは履いたことがない。このときも、地元の人と同じ格好で、山中の街道を歩き始めた。雨と蛭よけのための傘を差し、荷物は片方の肩にかければ事足りるくらいのものだけを持ち、登り始めの暑い気候のところでは半ズボンで素足のゴム草履といういでたちである。雨季だから至る所に水があふれている。素足のゴム草履だと、膝までの深さの流れもじゃぶじゃぶと渡渉して数分も歩けば足は乾く。長ズボンに靴と靴下を履いていたらそうは行かないのだ。トレッキングは、山頂を極めるのが目的の登山とは本質的に違う。海抜高度こそ高いが、人の住んでいるところを伝って集落から集落へと生活路を行くのだから、殺虫剤以外に特別な装備は必要がないのである。(『漂流するトルコ』93頁)


そんなトレッキングの途上、ある宿で一緒になったフランス人の医師たちとの会話がきっかけとなって、小島さんは『トルコのもう一つの顔』の草稿をネパールの民家の離れを借りて十日で書き上げることになる。

 宿に帰り、ランプを灯してタロット・ゲームを始めながら会話が続く。
「しゃべり方、教授っぽいね。大学の先生でしょう。ご専門は?」
言語学
ネパール語?」
「いや、トルコの少数民族の諸言語」
「論文はどういうところに発表するんですか」
「まだ発表できていないんです。トルコでは政治がらみで存在しないことになっている諸言語だから、下手に発表すると、私だけならともかく、地元のインフォーマント(=言語調査に応じてくれる人)たちにも命取り、二年前には国外追放されちゃったんです」かくかくしかじか。
「そういう事情だとしたら、学術的な論文をしばらく寝かせている間に、一般読者向けの本を書いたらどう? 本を出版してしまえば、そこに政治的な圧力をかけたら逆に宣伝になってしまうからトルコ政府は却って手が出しにくくなるよ。論文が発表しやすくなるんじゃないの」
「あ、それは考え付かなかった」
「そうよ、書くべきよ。フランス語でも、日本語でも、英語でも。いいものが書ければ引き受ける出版社はきっと見つかるわ」


 ゲームを続け、会話を続ける間に、20年も目にしていない原稿用紙の記憶が目の奥に広がった。このときまで何年も何年も胸に秘めてトルコ語とフランス語とだけでごく僅かの人にごく一部だけ話していたことを、日本語で、母言語で、存分に書き表したいという想いに火がつき、燃え始めた。ペンを持つ自分の姿が目に見える。書けるだろうか。日本語が今でも書けるだろうか。書き出しはこう。次の章ではあのことを説明して、起……承……転……再転……三転……結。最後はあの場面で締めくくる。そうだ、書ける。書こう。書くぞ。
 決めたことをすぐ実行した。原稿用紙は日本でしか売っていないものだからここでは手に入らないが、後で清書すればいい。分厚いノートを一冊買ってとにかく下書きをしよう。数日後、民家の離れを借りて朝から晩までノートを埋める作業に取り掛かった。食事の時だけ外に出る。何も考える必要は無かった。構想を立てることさえせずに書き始めたのだが、一行書き終わらないうちに次の行に書くべきことが浮んで来る。ペンの動く速さでどんどん書き進み、わずか十日後に草稿は出来上がった。(『漂流するトルコ』98頁〜99頁)


だが、その草稿が知人を介して最初に持ち込まれた日本のある出版社では、トルコ政府の政策を批判するような本は出せないことを理由に不採用になった。また、結局採用された中央公論社の担当編集者からは、出版後に登場人物すなわちトルコ国内のインフォーマントたちや小島剛一さん自身に危険が及ぶ可能性はないかを打診する質問状が送られてきた。それに対して小島剛一さんは、「最悪の場合は暗殺されることを覚悟した上での研究」であると答えたという。当初からインフォーマントたち(少数民族)との深い信頼関係の上に成り立つ小島さんの研究は、差別の現実を変えるための国家権力との一歩も譲れない不断の闘いであったわけである。


1994年に「トルコ国外退去勧告」が実質的に解けたことを知らされた小島さんは再びトルコに入国して調査を続ける。『漂流するトルコ』では「その後」の幾多のレベルの「闘い」が、とうとう2003年7月に「トルコ国外追放」処分を受けるまで、生々しく綴られている。


1946年秋田に生まれた小島剛一さんは1968年以来フランスの東端、ドイツとの国境の町アルザスに住み、ストラスブール大学修士号民族学)と博士号(言語学トルコ語)を取得した歴とした研究者であるが、大学に勤めているわけではない。肩書きはシンプルに「フランスで自由業」と書かれている。これだけでも機知(エスプリ)に富み、型破りの魅力的な人物であることが窺えるが、『トルコのもう一つの顔』と『漂流するトルコ』を一読すれば、それは確信に変るだろう。



旅行人161号旧ユーゴを歩く〜クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、モンテネグロ、コソヴォ

旅行人161号旧ユーゴを歩く〜クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、モンテネグロ、コソヴォ


旅行人162号 美しきベンガルの大地へ(バングラデシュ+西ベンガル州)

旅行人162号 美しきベンガルの大地へ(バングラデシュ+西ベンガル州)


なお、『漂流するトルコ』刊行の実現には、自称「辺境作家」の高野秀行さんと「旅行人」編集長の蔵前仁一さんの連繋と尽力があった。『漂流するトルコ』は単行本として刊行される前に、その一部が『旅行人』の2010上期号(2009年12月発行)と下期号(2010年6月発行)に連載された。味わい深い『旅行人』が165号で休刊するのは非常に残念である。

ちなみに、おそらく90年代後半のことと思われるが小島さんご本人によれば、2004年頃のこと、旅人ウコンさんがバンコクのバンランプーの中華食堂での小島剛一さんとの愉快な出会いを記している。


バンランプー(バンコク)の中華食堂で
ひとりの日本人と相席になった
短く刈り上げている白髪まじりの頭
痩せてはいるが無駄のない体格
歳は五十位だろうか
知的で好奇心あふれる彼の目と精悍な印象から
旅行者や会社員の雰囲気はしない
何をなさっているのですか
挨拶もそこそこ尋ねてしまった
言語学者
主に少数言語を研究しているという
合気道の覚えひとつで単身
少数言語の残る僻地を訪れていて
世界のほとんどの土地は訪れた様子
特に研究の中心だったトルコからは
国外退去命令を受けたという
理由を聞くと
知り過ぎたんですよ
いったい、このおじさんは
どれだけの人に会ってどんな体験をして
そして、何ヶ国語
もとい何言語あやつれるのだろう
別れぎわ、
日本で一冊出版してるからと教えてもらった
・・トルコのもう一つの顔・・
・・中公新書1009・・
スリリングな展開で一気に読める
言語学とかトルコとかに興味がなくても
国とは国家とは
どこも多かれ少なかれ
こーなんだろうなって・・・

http://www2c.airnet.ne.jp/ukon/link.html


参照(小島剛一さんの公開されている業績)


関連エントリー