釧路の豊文堂とThis Is


豊文堂での掘出し物


十年ぶりに仕事で訪れた釧路の街で思いがけない出会いに恵まれ、懐かしい再会を果たすことができた。仕事に関しては、先方の都合で予定は部分的に変更を余儀なくされたが、同行した若い同僚の臨機応変な働きのおかげで予想以上にうまく運んだ。Yさん、Mさん、ありがとう。





豊文堂・北大通


仕事を終えてから黄昏の街を歩いた。駅前通り(北大通)にある古書店の豊文堂に立ち寄った。店内に足を踏み入れた途端、ここは本当に本が好きな人がやっている店だなということが分かる雰囲気に溢れていた。いわゆるジャンルをゆるやかに横断してまとめて置かれた本がまるで小さな島のようにあちこちに出来上がっていた。店内には静かにジャズが流れていた。一通りゆっくりと見て廻った。店主が先客のご婦人と串田孫一橋本治のエピソードについて楽しそうに語り合う抑えた声が優しく耳に入ってくる。手は何冊もの本に伸びた。その中で小さな写真集ビル・ビンツェン『十番街』(Bill Binzen, TENTH STREET, Grossman pub. New York, 1968)一冊だけが最後まで手を離れなかった。それを持ってレジの店主に声をかけた。店内のユニークなレイアウトを褒めた。まだ若い店主、川島直樹さんは少々照れながらも、穏やかな語り口で店の成り立ちや駅裏(駅の北側)に四十年続く豊文堂の本店の存在について教えてくれた。ここは問題にならないくらい凄いですから、是非訪ねてみてください。川島さんは地図まで描いて熱心に勧めてくれた。




Largo


ところで、豊文堂・北大通店の二階には喫茶ラルゴが入っている。古書店内の階段で繋がっている。ラルゴは豊文堂の喫茶部ということで、本店を守り続ける豊川俊英さんのご子息である豊川大輔さんがやっているということだった。ラルゴには釧路を離れる日に立ち寄り、豊川大輔さんが腕によりをかけた鱈と海老のグラタンを戴いた。旨かった。店が女性客で賑わっている理由の一端が分かった。私が座ったカウンター横の壁には豊文堂本店の絵が飾ってあった。





豊文堂・本店


豊文堂北大通店を後にした私は氷点下十数度の風に身を硬くしながら、釧路駅北側の白金町にある本店に向かった。川島さんが言っていた通り、本店は凄かった。北大通店が本の群島のような雰囲気であるとすれば、本店は本の密林だった。店主の豊川俊英さんの姿はうずたかく積まれた本の陰になってなかなか見えなかった。先客のお爺さんと会話する声が本の木立の隙間から聞こえてるような具合だった。かなり広い店内をゆっくりと見て廻った。掘出したい獲物はたくさんあった。井上孝治の『こどものいた街』もあった。細江英公の写真集もあった。北大通店でもそうだったが、本店でも、本と寄り添うように何気なく置かれたLP版やSP版のレコードも目を惹いた。そして小さな棚の上段に立てかけてあったCDが目にとまった。ポルトガルマドレデウスのアンソロジー(MADREDEUS, ANTOLOGIA, 2000)だった。北の港街の古書店で、写真でしか見たことのないポルトガルの岬や港街の光景が朧げに浮かんだ。それを手に本の陰から頭頂だけが見え隠れする店主に声をかけた。店主の豊川俊英さんは私が北大通店の川島さんの熱心な勧めでこちらを訪ねたことを告げるととても喜んでくれた。色々と話しているうちに、豊川さんからは札幌大学時代の山口昌男さんとの付き合いや書肆吉成の吉成秀夫さんの活躍ぶりなどが話題に上り、思いがけない方向に話が展開して驚いた。マドレデウスのアンソロジーのCDは昨日仕入れたばかりでたまたま棚に飾ってみたくなったのだという。か細い心の糸が奇跡的に繋がったようですね、とどちらからともなく喜び合った。






冴え冴えとした月夜に栄町のでこぼこに凍った道をペンギンのような頼りない足取りで歩いている時だった。突然十年前にふらりと立ち寄ったジャズ喫茶を思い出した。覚束ない記憶を頼りに探した。平和公園に面した小路の暗闇の中に「This Is」のスタンド看板の灯が見えた時には、ちょっと大げさに言えば、濃霧の中で方向を見失いやっと灯台の灯が見えた時の船乗りの気持ちになった。丸窓が印象的な舷側のようなファサードと照明の中に浮かぶ「JAZZ ジス・イズ hot house」の看板をしばらく眺めて、「営業中」の札のかかった古木の門を潜って、木の扉をゆっくりと押し開けた。店も店主の小林東さんも十年前と同じように温かく迎えてくれた。小林さんが目の前で丁寧に淹れてくれるオリジナルブレンドのコーヒーの深い香りと味は譬えようもなく素晴らしい。鼻腔と舌はその香りと味を覚えていた。生前の大野一雄と非常に親しかった小林さんからは、この十年間の大野一雄にまつわる様々な思い出を聞かせていただいた。思いがけず話題がジョナス・メカスにまで及んで私も興奮してしまった。なんと小林さんは大野一雄の99歳、100歳の誕生日のお祝いにジョナス・メカスと同席していたのだった。池内功和さんが撮った大野一雄の「last dance」の原版を見せていただき、アルゼンチンのコレクターが奇跡のような粋な計らいで送ってくれたというラ・アルヘンチーナの1929年の音源まで聴かせていただいた。幼い頃から芝居や見世物小屋をのぞくのが好きだった小林さんは、六年前に九州の八千代座に倣って二階に「百歳座」という念願の小劇場も作った。土方巽細江英公にまつわるお話も大変興味深かったが、なによりも地元の高校生の演劇活動を目を細めて語る小林さんの表情が印象的だった。This Isには国内外から演劇や舞踏やジャズや詩や写真のプロや、そういうことに興味のある人がひっきりなしに訪ねてきては、色んな土産品を置いて行くようだ。店内では大野一雄の写真やポスターをはじめ世界中から運ばれてきた各種の看板や小物が所狭しとひしめき合い愉快そうに囁き合っていた。小林さんは1969年、二十五歳の時に一生に一度はジャズで飯を食いたいとThis Isを始めたと言う。そんな人生の一頁が今でもずっと続いているんですよ、と言って笑った。永遠の一頁ですね、と私は思わず応えた。


参照