釧路のフィレンツェとリリー



釧路川河口



雄阿寒岳(1370.5 m)


旅先では昔ながらの喫茶店に立ち寄って、長年にわたって街や人の変化などをいわば定点観測してきたはずの店主や他の客、特に地元の客と話をするのがひとつの楽しみである。かりに誰とも話せなくてもいい。そういう喫茶店の少々草臥れた椅子に腰掛けて店内や窓の外をしばらくぼーっと眺めているだけで、その街の歴史が複雑にブレンドされた匂いを嗅げるような気がするのだ。まあ、ほとんど錯覚だろうけどね。釧路を去る日、二軒の喫茶店に立ち寄った。一軒目に立ち寄らなければ、二軒目には立ち寄ることはなかった。








茶店フィレンツェ末広町5丁目、昭和46(1971)年創業。


末広町の繁華街の入口で「フィレンツェ」の文字が目に飛び込んで来た。吸い込まれるように入店した。掃除と手入れの行き届いた店内は少しも古さを感じさせなかった。ダイヤル式のピカピカの黒電話はなんと現役だった。故障してから使っていないという古風なイタリアのガジア(GAGGIA、「アカシアの花」の意)製のマシーンも綺麗に手入れされてまるで新品のようだった。四十年間変わらないという店内は時間の丁寧な積み重ねによって非常に新鮮な表情を獲得しているように感じられた。濃厚なイタリアンコーヒーを飲みながら先客の地元のお爺さんと世間話をしている間、二代目店主の美しい銀髪の上品なマダムは手を休めることなくカウンターの上に置かれたものを拭いたり、二階へ通じる木製の階段の窓際や壁龕(へきがん)のような棚に置かれた鉢植えの手入れをしていた。最近は客足も遠のいてめったに使われないという誰もいない二階も見せていただいたが、やはり隅々まで綺麗に掃除が行き届いていて、古風なデザインのソファとテーブルが、四十年前をつい昨日のように記憶しているかのようだった。母さん(現在の店主の母親)の代から常連だったという先客のお爺さんは釧路の不況を嘆げきながら、元気なのは釧路コールマインくらいだと語った。釧路コールマインは2002年に閉山した太平洋炭礦をその年に引き継ぎ、540名を再雇用して採炭を開始した会社である。海底に広がる炭層を坑内掘りする日本で唯一の鉱山であるという。俺は骨董みたいなもんだ、この店もママもな、と言ってお爺さんは笑った。しかし、骨董と自嘲するお爺さん自身からも、そしてそんなお爺さんを微笑みながら見やるマダムからも現役の生き生きとしたオーラが立ち昇っているように見えた。気になっていた店名「フィレンツェ」の由来については、先代がイタリア製の機械が気に入って導入したのがきっかけで命名したというが、それ以上詳しいことは分からなかった。マダムに記念撮影をお願いしてみたが、とんでもない、こんな婆さんを撮ったらカメラが壊れるわよ、と逃げられた。私が昔ながらの喫茶店が好きだと知って、マダムは七十年以上続いている喫茶店リーリーがあると教えてくれた。ここよりずっと広くてグランドピアノも置いてあって、時々シャンソンのライブも行われるという。フィレンツェはイタリア風で、リリーはフランス風なわけだ。



釧路新聞社、黒金町7丁目、昭和21(1946)年創刊。This Isを始める前の小林東さんが勤めていた。石川啄木が明治41(1904)年に二か月間勤めた釧路新聞社北海道新聞社の前身)とは別の新聞社。







茶店リリー、北大通4丁目、昭和10(1935)年創業。


リリーは地階にあった。階段をゆっくりゆっくり降りているうちに、正に七十年以上の時間の地層を潜って行くようでゾクゾク、ワクワクしてきた。店内には他に客はいなかった。美しい短い黒髪が若々しく印象的な店主のマダムは広い店内の床の掃除をしていた。地上の凍てついた歩道に撒かれた滑り止め用の砂が、ちょっとした風で地下の店内にまで吹き込んで来て大変なのよ。札幌から出張で来たと言うと、マダムはついさっきまで東京から来た客がいたと言う。こういう古い喫茶店が残っているのは嬉しいという言葉を残していったらしい。なるほど。しかし私は「古い」という言葉にかすかなひっかかりを覚えた。フィレンツェもそうだったが、ここリリーも決して古くはない。長年使い込まれた床やカウンターのテーブルや客席のテーブルなどはたしかに表面は傷つき摩耗しているが、掃除と手入れが行き届いているおかげで、控え目に備え付けられた照明を反射して目に優しい深い輝きを放っている。こんな空間は古くない。むしろ非常に新鮮で、空間全体が非常に座り心地のよい椅子のようにさえ感じられる。そんなことを口走ったか、内心思っただけだったかかよく覚えていないが、自然な成り行きのように、マダムはリリーと共にあった小さな歴史について語ってくれた。札幌で生まれ育った彼女はおよそ半世紀前に釧路に嫁いで来た。リリーの二代目店主だったご主人を二十年前に亡くしてからは、彼女が一人で店を守ってきた。その間ずっと年中無休で働いて来た。この歳になって夕焼けも一度も見たことがないのよ、と言って笑った。ちなみに、一説には釧路市の夕日は、インドネシアのバリ島、フィリピンのマニラとともに「世界三大夕日」と称される。そこで来客があり、話は途切れた。店名「リリー」の由来は尋ね損なった。


リリーを出た後、彼女の分まで夕日を堪能した。



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