昨日のエントリーで引用した志村ふくみさんの文章の一部に、補色と視覚混合に関する基本的な誤解が見られる、との指摘をストラスブールを拠点に世界中を旅する言語学者の小島剛一さんからいただいた。私も誤解していた。問題の一節はこうである。
あるとき、赤と青の糸を交互に濃淡で入れていった着物をみて、美しい紫ですねといった人があった。紫はひと色も入っていないのですよ、と言うと、その人は不思議そうであったが、それが補色の特徴であり、「視覚混合」の原理であったのである。(志村ふくみ『色を奏でる』ちくま文庫、67頁)
小島剛一さんの指摘によれば、先ず、基本的な知識として、赤と青は補色ではない。確かにそうである。次に、近距離での視覚混合は補色およびそれに近い組み合わせ以外の色を織り交ぜたときに起こるのであって、補色またはそれに近い組み合わせの色を織り交ぜた場合は、視覚混合は起こらず、別々に輝いて見える。そしてその輝きを「真珠母色」あるいは「虹色」と形容する。一瞬、混乱したが、この点に関しては私も完全に誤解していた。つまり、「真珠母色」は視覚混合の作用ではないということである。この点に関しては岡鹿之助の記述にも誤解が含まれていたことになる。補色を織り交ぜた場合に遠距離で視覚混合が起こると、見えるものは灰色だから「真珠母色」という形容は出来ない。 岡鹿之助は、恐らく、緑と紫の組み合わせのように、近距離での視覚混合が起こることは起こるが、近似した色相ではないために「中間の色だけ」に見えるのではなく、画面には無い神秘的な明るい青みがかった灰色が画面と重なって浮かび上がる」ことを「美しい真珠母色の輝き」と呼んだのであろう。視覚混合も「真珠母色」も決して「補色の特徴」ではないことは銘記されるべきである。
(加筆訂正と補足)
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その後の小島剛一さんとのやりとりを踏まえて、上の一節に関して、ご覧のように加筆訂正を施しました。岡鹿之助の記述に「誤解」はないことが分かったからです。視覚混合と真珠母色の関係を述べた岡鹿之助の原文はこうでした。
緑と紫は補色関係にちかい。補色同士の色をまぜると、ねむい灰色調になってしまうものだが、この二色を隣り合わせにならべると「視覚混合」の作用で、美しい真珠母色の輝きを得るのである。(岡鹿之助『フランスへの献花』美術出版社、42頁)
分かりにくいかもしれませんが、岡鹿之助は「補色同士の色」と「補色関係に近い二色」を明確に区別して書いています。小島剛一さんによれば、緑と紫の細かい点を交ぜた画面を少し離れた所から見ると、赤と橙や黄緑と青緑のような近似した色の組み合わせではないために、「中間の色だけ」には見えず、地の緑と紫が消えないままで「中間の明るい青い色」が重なって見えるそうです。岡鹿之助が「補色関係にちかい」と言うのは、近距離での視覚混合を起こさないほど補色に近いという意味ではなく、視覚混合を起こすけれども、地の色を消すほどではないという意味に理解することができますから、岡鹿之助の記述に「誤解」はないと言えるわけです。
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また、志村ふくみさんは織の場合だけでなく、絵の具の場合にも「混(ぜる)」ではなく「交(ぜる)」の漢字を一貫して使っているが、特に「織の原則」について「色の法則の根本は、色と色を交ぜない、あるいは交ぜられない」(前掲書、67頁)と語る一文に関して小島剛一さんは次のように指摘する。
「交ぜる」は「個々の構成要素が区別できる状態で入り組ませる」、「混ぜる」は「個々の構成要素が区別できないように一緒にする」ことです。織の場合、絵具のように「色を等質に混ぜる」ことは出来ませんが、異なった色の糸を「織り交ぜる」ことが出来ます。「織の色の法則の根本は、色を並置して交ぜることは出来るが、絵具を混ぜるように等質には出来ない」と言うべきです。
確かにそうである。話の趣旨からは些細な事のように思われるかもしれないが、むしろ以上のような指摘をふまえて、せっかくの文章に「交じっていた」誤解や誤用の糸を引き抜いて正しい糸をきちんと入れた方が、志村ふくみさんの「真珠母色」の話はスーラの絵のようにより一層輝きを増すように思える。
最後に、「真珠母色」に関して小島剛一さんはネパールで「五色の雲」を観察したときのことを書いてくださった。この記事の冒頭に掲げた美しく輝く雲の写真を添えて。
成層圏に発生する真珠母雲は極地かそれに近い高緯度地域でしか見られませんが、「五色の雲(または「瑞雲」「彩雲」「慶雲」)」という気象現象なら低緯度地域でも見られます。ヒマラヤ山系で十二月から一月にかけて、午前十時ごろから午後二時ごろまで、毎日のように太陽の近くに見えます。青空を背景に緑と紫が主ですが、金色(こんじき)など、他の色合いも入ります。勿論、太陽を直視してしまわないように気を付けなくてはなりません。「真昼の太陽の近くを見るなんて以ての外」と考えて観察しようとしない人や「眩しいからサングラスをかけて歩く」人には見えません。(小島剛一、2012年3月16日)
「五色の雲」の写真を見て、なぜか鎌倉時代(13世紀末〜14世紀初め)に制作された「阿弥陀二十五菩薩来迎図」を思い出した。阿弥陀如来が二十五の菩薩をしたがえて、西方極楽浄土から急峻な山頂ごしに飛雲にのって地上の往生者のもとへ急降下してくる様を描いた見事な図である。あの飛雲は、あるいはあの図全体は、もしかしたら五色の雲のイメージではないだろうかとふと思った。