地名マカオの由来


マカオで道草


「道草」にひかれて本書を手にした。「道草を食う」と言えば、目的地へ行く途中で道端に生えている草に目を留めたりして無駄に時間を費やす行為を意味する。しかし、人間の最終ゴールは死であると考えれば、道草こそが生の意味であるようにも思えてくる。


ところで、日本語の「マカオ」という表記には意外な歴史がその痕跡をとどめていることを知った。

 地名のマカオMACAU(英語ではMACAOと表記されます)というのはポルトガル語です。広東語では澳門(オウ・ムン)です。マカオ半島マカオに属する二つの島、タイパとコロネアは珠江の河口三角州にあります。大きな珠江の流れはゆっくりで、まるで海のようです。風が吹かなければ、鏡のように水面に月を映し出し、とても穏やかな川で湖のようでもあるので、鏡湖(ケン・ウー)だとか鏡海(ケン・ホイ)などと洒落た言い方もなされています。
 澳門(オウムン・広東語)の、澳は入り江のような地形、門は交易の行われる場所を意味しています。
(中略)
 おおよそ400年前(1533年頃)、マカオへやって来たポルトガル人は、海の女神として船乗りや漁師に信仰のある媽祖娘娘(マー・ジョ・ニャン・ニャン)を奉った媽閣廟(マー・ホック・ミウ)の建つ海岸に上陸しました。
 ここはどこだとポルトガル人が地名を尋ねると、中国人は廟の名前を尋ねているのだと勘違いして、「媽閣(マー・ホック)」と答えたので、ポルトガル人の耳にはマカオと聞こえたので、マカオになったのだ、ということになっています。
 ポルトガル人の耳はそんなに聞こえが悪かったのでしょうか。マカオではなく、Mahkokk(マホック、マーオク)とでも記録されそうなのに、なぜわざわざMacau(マカオ)となっているのでしょうか。
 媽閣廟の側の港ということから、媽港(マー・コン/Macao)、阿媽港(ア・マー・コン/Amacao)が、Macau(マーカウ)となったと考えたほうが、適当ではないでしょうか。ちなみにポルトガル語に忠実ならマカウとすべきを、日本語ではマカオと語尾を「オ」にしているのは、もっと耳の悪いイギリス人が、MACAUをMACAOとしてしまったことに追従しているからではないでしょうか。
 やがてポルトガル人は岸辺に建つ中国建築が、南の女神を奉る廟だ、と気付いたはずです。マカオには媽港神名之城(Cidade do nome de Macao/海の女神の名を持つ街、マカオ)という正式名称が与えられました。

  島尾伸三著・潮田登久子写真『マカオで道草』(大修館書店、1999年)16頁〜17頁


この件を読みながら、「ウ」と「オ」の発音の違いを確かめた。唇にも舌にもほとんど力を入れずに発音する「ア」を仮に基準とするなら、「ウ」は唇をすぼめなければ発音することはできない。さらに「オ」は舌を奧に引き込む力を入れなければ発音することはできない。しかし、「マカウ」と発音すると、「カ」に引っ張られるせいか、「ウ」は限りなく「オ」に近づき、「マカウ」は「マカオ」にも聞こえる。島尾伸三さんほど耳の良くない私にはイギリス人がそれほど耳が悪いとは思えなかった。


(追記)

ストラスブール在住の言語学者小島剛一さんが専門家の立場からメールで以下の三点を指摘してくださった。ありがたい。

(1)島尾伸三氏が定説であるかのように挙げているマカオ語源説は数ある眉唾の語源説のうちの一つでしかなく、しかも典拠が欠けている。
(2)島尾伸三氏による「おおよそ400年前(1533年頃)、マカオへやって来たポルトガル人は」という記述には典拠が欠けている。
(3)三上勝生氏の「ウ」と「オ」の発音の違いに関する説明は「大間違い!!!!!」である。なぜなら、

日本語の「ウ」は、唇をすぼめないで発音する[ɯ]です。唇をすぼめるヨーロッパ語式の[u]が正しく発音できる日本人は、ごく稀です。二種類の「ウ」(= [ɯ]と[u])を音素として弁別するトルコ語ルーマニア語インドネシア語などは、日本人にとって発音の難しい言語です。また、「オ」を発音するのに「舌を奧に引き込む力」は、必要ありません。

(1)の「定説」と(2)の歴史記述に関しては、『マカオで道草』巻末の参考文献表に挙げられている主に中国語の二十冊余の澳門マカオ)史の文献のどこかに書かれていると推測されるが、典拠を明示していないことは配慮不足と指摘されても仕方がないであろう。
(3)に関しては、私の発音が日本語の発音からずれてしまっているのかもしれないが、私の口周りと舌の感覚からは「納得できない!」と返答した。


(追記2)

小島剛一さんから第二信が届いた。小島さんによれば、私の「ウ」の発音は意識せずに話すときには完全に日本式の「平唇中舌音」だそうで(一昨年、北海道を反時計回りにほぼ一周する旅を共にしたときに、小島さんは私の発音を観察している)、今回のように、単音の「ウ」を発音しようとしたときに、普段はしない不自然な発音(「円唇後舌音」)をする習慣が身に着いてしまっているらしい。確かに、例えば「明日、海に行こうか」と意識せずに話す時の「海」の「ウ」は完全に「平唇中舌音」であるが、Macauの[u]を発音しようとすると、「円唇後舌音」になってしまう。そうなってしまう原因について、小島さんは、日本では、小学校の音楽で「ウ」と「オ」は唇を円くする、と日本語の発音としては不自然なことを形式的に教えられ、中学校の英語で、英語の[u]は日本語の「ウ」と違って「円唇後舌」にしないと通じないことをちゃんと教わらないことにあるはずだと指摘する。これについては実際にはどうだったか思い出せない。それだけ根深い弊害になっているのかもしれない。


(追記3)

島尾伸三氏はポルトガル語のMacauをMacaoとしたイギリス人の「耳の悪さ」を揶揄したが、言語学者の小島剛一さんによれば、イギリス人は、子音を伴わない語末の[u]を正しく聞き取ることが出来ないから、「o」などと聞き取るのが「原則」だという。Macaoの他にも、BornéuをBorneoに、MindanauをMindanaoにする例がある。そもそも、英語では、語末で子音を伴わない単一の短母音の[u]は発音できず、英語を母言語とする人は、異言語で単一の短母音の[u]を語末で聞くと、自動的に近似した他の母音に置き換えて聞き取る、という。さらに小島さんは日本人の「耳の悪さ」にも触れて、最後には「耳の悪さ」という表現に含まれる素人の偏見を専門家の立場から冷静に正す。

これは、語末に子音を許さない音韻構造の日本語を母言語とする人が「up」「bed」「light」などを聞いた時に自動的に母音を添えて「アップ(+[ɯ])」「ベッド(+ [o])」「ライト(+ [o])」と聞き取るのと同じことです。どんな言語を話す人も、他の言語を話す人にとっては「耳が悪い」のです。

なるほど、である。