巣壷だった!

札幌、曇り。青空見えず。気温下がる。零下4、5℃。雪の残る路面は再び凍結していた。

藻岩山は山頂から次第に雪に煙り始めていた。左手に僅かに見える原生林からはほぼ毎朝見かけるツグミのさえずりが聞こえた。

あのまだ同定できていない小鳥ゴジュウカラ(五十雀)キバシリ(木走)か、はたまた第三の小鳥を半ば無意識に探している自分がいる。すると原生林の樹々を見上げていた私の視界を何かが右から左に横切った。目で追うと、一本の木に留った。シジュウカラ(四十雀)のようだった。せわしなく枝を伝ったり、他の枝に飛び移ったりして、すぐに原生林の奥に消えた。その目で近くの樹々に目を凝らすと、幹を逆さに降りている別の小鳥が目に留まった。カメラを向けるも、ズームするとフレームから外れ、なかなかシャッターを押せない。しかもいつものことだが、風太郎には引っ張られて、ホールドもままならない。結局、撮り逃がした。直後、さらに隣の木で三羽の小鳥がせわしなく幹を枝を伝ったり、他の枝に飛び移ったりしているのが目に入った。36倍ズームしたままの揺れ動くフレームの中に小鳥の影がなんとか入った瞬間に三度だけシャッターを切ることができた。


二枚目にはっきりと写っている白い頬から見て、シジュウカラGreat Tit)に間違いない。(追記。これは間違いだった。yukioinoさん(id:yukioino)のご指摘で調べ直した結果、その茶色のお腹が決定的な証拠となり、カラはカラでも、ヤマガラ(山雀)Varied Titであることが判明した。こういう指摘は本当に嬉しい。yukioinoさん、ありがとう。)三枚目は偶然写っていた飛び立った直後の羽ばたく姿で、開いた翼が美しい。実は一枚目に写っている後ろ姿の小鳥はシジュウカラには見えない。背中の斑のように見える模様や色はキバシリに近い印象だが、同定できない。小さい上に、動きが素早く、私は混乱した。

一昨日記録した「十字架」は用途不明ではなく、蔓を絡ませるための三次元十字架だった。柱の上方に二本の細い鉄の棒が直交するように固定したあった。一昨日とは90度ずれた位置から撮った。

この蔓の十字架のある庭には、未だ正体不明の縄製壷(pot)二個が樹に吊り下げてある。その内の一個、蓋付きの方に、穴が開いていことを発見した。ああ、「巣箱」ならぬ「巣壷」だったのか、と納得した。しかし、もう一方は現在までのところ穴は見えないので、まだ正体不明である。

「巣壷」なんて私の勝手な造語だと思っていたが、念のためGoogleで検索したら、「あった」。知らなかった。ヨーロッパでも15〜16世紀に遡る「巣壷(bird house)の歴史」があったのだった。ただし、それは陶製の壷を口が横になるように吊り下げたものである。日本で「巣壷」という場合にも陶製か藁製の壷を横置きしたものを指すようで、蓋付き縄製の巣壷は非常に珍しいのではないか。

裏話:365Films by Jonas Mekas

昨日のメカスの365日映画の記事を書きながら、"Another day, another espresso!"というメカスのやけに力のこもった言葉がずっと気にかかっていた。"another"に籠められた思いは一筋縄ではいかないとは聞いた瞬間に感じた。素直に翻訳するとしたら、「今日が、この一杯が、もう最後かもしれない。だから今日の一日を、この一杯を祝うように過ごし、味わうぞ。」という思いを下敷きにして、「あと、もう一日、あと、もう一杯のエスプレッソ!」とでも言葉を選んだはずだが、私は、自分の心境に引きつけ過ぎたのかもしれない。同じように繰り返される毎日のなかで惰性に落ち込んでいきそうになる自分にある意味で「喝を入れる」ような翻訳をしてしまった。「いつもの一日、いつものエスプレッソ!」(「されど」)。

"another"、"an other"、「あと一つ、もう一つ」が差しだされてあることを「幸福」に感じられるかどうか、その感受性を喚起するような翻訳をしなかったのは、メカスの365日映画の「紹介」としては「失敗」だったと認めざるをえない。

ところで、昨日のフィルム中、印象に残ったが、書かなかったクレムカフェでの短い断片的なやりとりがあった。ベンの「もう一杯どう?(Another espresso?)」に対するメカスの「もう、いいよ(No, ...)」だった。人生においても、いつか「もう、いいよ。沢山。」と言うべき時が訪れるのだろうか、あるいは、死ぬまで毎朝、"Another day, another espresso!"を言い続けるのだろうか。

デザイン変更(続き)

昨夜のデザイン変更に関して、多くの方から感想、アドバイスをいただき、驚くと同時に感激しています。昨夜の「大文字テキスト至上主義」のデザイン変更は、得られるものより、失われるもののほうが多いことを痛切に知らされました。かといって、元に戻したのでは、「変更」の浅くない動機をも葬り去ってしまうことになるので、多くの方のアドバイスを参考に、正反対の「超シンプルなデザイン」の一候補に切り替えて、調整中です。が、まだ迷っています。お騒がせして、大変申し訳ありませんが、私が選ぶものが極端だということもありますが、やはりデザインをあなどってはいけない、と痛感しています。

生活の音楽 Cafe de Paris:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、67日目。


Day 67: Jonas Mekas

Thursday March. 8th, 2007
4 min. 52 sec.

At Cafe Conti,
in Paris
I am having a jambon,
my favorite Paris
meal --

カフェ・コンティ、
パリ。
ジャンボンを食べる。
パリでのお気に入りの食事。

テーブルの上には白ワインとハムサンド。そとはまだ明るい、開放的でカジュアルな雰囲気のパリのカフェ、ル・コンティで、ハムサンドに齧りつくメカス。バケットがちょっと噛み切りにくそう。白ワインは欠かせない。カメラがテーブルの上に置かれる。時々レンズの向きを変えて、店内と表通りの異質な光と空気を交互に捉えてる。自分が今いる場所の非常に細かい特徴を繊細に捉えている。店内に客はまばらだ。カウンター傍の若い男性客たちの話し声が店内に響く。皿やグラスがかち合う音も心地よく響く。昼食で混雑していた店から大勢の客が引けた後の、でも、まだ人いきれが微かに残っているような時間。常連客らしい老人が店のギャルソン給仕)か誰かに何やら話しかけている。聞こえるすべての音が生活の音楽になっている。メカスは独りだが、充実した時間を過ごしている。

場面は変わり、別の日の午前3時、金曜の夜、というか、土曜の朝だが、メカスは再びカフェ・コンティにいる。カウンターで白ワインを飲んでいる。若いカップルなど客はまだ大勢いて賑やかだ。通りも車が渋滞している。

さらに場面は代わり、ホテルの部屋から通りを見下ろす。建物の窓からもれる明かりに照らされる石畳が美しい。どこかの窓から漏れた話声が通りに反響する。「パリはまだ眠らないよ、ふふふ。」

ふと、 エリック・サティ(Eric Alfred Leslie Satie, 1866-1925)の音楽やロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec, 1864-1901)の絵を思い出した。

パリのカフェと言えば、ロンドンの コーヒー・ハウスも想起せざるをえないが、それはこちらにお任せしよう。