昨日のメカスの365日映画の記事を書きながら、"Another day, another espresso!"というメカスのやけに力のこもった言葉がずっと気にかかっていた。"another"に籠められた思いは一筋縄ではいかないとは聞いた瞬間に感じた。素直に翻訳するとしたら、「今日が、この一杯が、もう最後かもしれない。だから今日の一日を、この一杯を祝うように過ごし、味わうぞ。」という思いを下敷きにして、「あと、もう一日、あと、もう一杯のエスプレッソ!」とでも言葉を選んだはずだが、私は、自分の心境に引きつけ過ぎたのかもしれない。同じように繰り返される毎日のなかで惰性に落ち込んでいきそうになる自分にある意味で「喝を入れる」ような翻訳をしてしまった。「いつもの一日、いつものエスプレッソ!」(「されど」)。
"another"、"an other"、「あと一つ、もう一つ」が差しだされてあることを「幸福」に感じられるかどうか、その感受性を喚起するような翻訳をしなかったのは、メカスの365日映画の「紹介」としては「失敗」だったと認めざるをえない。
ところで、昨日のフィルム中、印象に残ったが、書かなかったクレムカフェでの短い断片的なやりとりがあった。ベンの「もう一杯どう?(Another espresso?)」に対するメカスの「もう、いいよ(No, ...)」だった。人生においても、いつか「もう、いいよ。沢山。」と言うべき時が訪れるのだろうか、あるいは、死ぬまで毎朝、"Another day, another espresso!"を言い続けるのだろうか。