専門演習


みなさん、『SCENES FROM THE LIFE OF ANDY WARHOL, ライフ・オブ・ウォーホル』監督:ジョナス・メカスは改めてどうでしたか。

観賞後の私の解説と皆さんとの質疑応答の中では深め切れなかったポイントについて、忘れないうちに書き留めておきます。

齋藤君がいみじくも(適切に)指摘してくれたように、あのわずか35分のフィルムは、1965年から1982年までの17年間に及ぶ想像を絶するほど膨大な記録を編集したものです。一見そうとは思われない気軽さ、空気の軽さみたいなものが感じらるのも事実ですが、17年間キープされ続けたポジティヴな人間関係、ネットワークがあってこそ生まれた作品だと言えるでしょう。

それにしても、あのイメージの震え、頻繁におこる中断、乱暴とも言えるシーンの繋がり、ノイズに満ちたベルベット・アンダーグラウンド&ニコのライブ音源の音量不安定な使用、等々にはじめはびっくりしたかもしれませんね。しかし、安藤君が指摘してくれたように、一見支離滅裂なイメージの断続的な奔流に不思議なほど見事にVU&Nの音楽はフィットしてました。そして、何よりも、ウォーホルと彼の友人たちの人柄が、一瞬の断片的な映像に深く刻まれているのが非常に印象的でしたよね。

私が個人的に惹かれたのは、ウォーホルのいつも何かをしている手、しかもいつもとても優しく丁寧にそして精確に何かを操っている手でした。いつも仕事場やプライベートな場所で、ポラロイド・カメラか、一眼レフか、8ミリビデオカメラ、あるいはペンを操っている手......。細部の魅力を語りだしたら、きりがありません。

私が前日記で触れた、メカスの眼とカメラの視線を向こう側から包み込んでいるかのようなウォーホルの視界、この作品を最も深いところで支えている世界観、人生観は、17年間以上に亘って絶妙に維持された幸福な人間関係、奇跡とも言えるネットワークに見て取れるのではないでしょうか。その幸福の時間は断片、瞬間としてしか記録、記憶されない宿命も含めて。


ということは、この映画の構造は、表と裏が境目無くつながっているメビウスの帯のように、メカスの視界とウォーホルの視界が反転しあうようなダイナミックなものだということです。どうしようもなく震え続けるメカスの人生を暖かく見守るウォーホルの世界観が、同じようにどうしようもなく切れ切れになるメカスのイメージを通して最も精確にそして強く(安藤君はインパクトがある、と言いましたね)再現されるのだ、とでも言えばいいでしょうか。


それと、もうひとつ、ポップとは何かという点についてですが、歴史的、思想的な文脈を噛み砕いて言ってしまえば、ついつい自分で自分を縛ってしまいがちな私たちにとって、そんな自分を「軽く」する方法だと思います。「開く」方法と言ってもいいでしょう。換言すれば、ウジウジしてないで、つながってしまえば、楽になる、数多くつながればつながるほど軽くなるよ、というメッセージだと思います。もちろんそのつながり方を洗練させなければなりませんが。

どうですか?何か気づいたことや異論などがあれば、寄せてください。