時間を見る Andy Warhol:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、64日目。


Day 64: Jonas Mekas

Monday March. 5th, 2007
15 min. 28 sec.

I am having a
relaxed Sunday
afternoon with a
glass of wine.
I answer a telephone
call about filming of
Warhol's EMPIRE

ある日曜日の午後
くつろいで
ワインを飲む。
ウォーホル映画「エンパイアー」
の撮影について
電話の問い合わせに
答える

細長い部屋。外光の眩しい窓を背にメカスは、フランス、ボルドーここモーランの白ワインを水のように飲みながら、クラシック音楽をかけて、小さな木製のまな板の上に並べられた小さく切ったおそらくチーズや果物やクラッカーなど(はっきりと見えない)を鳥がついばむように、少しずつ、口に運ぶ。ワインをもう一杯グラスになみなみと注ぎ、残した食物を片付けていると、電話が鳴る。「やらせ」っぽくなくはないが、それは瑣末なこと。電話の相手はいきなり、アンディ・ウォーホルの映画「エンパイア」(1964)について尋ねてきた。メカスはウォーホルが1962年に彼の元を訪ねてきたときのことから説き起こす。一緒にロックフェラー財団のオフィスが入っているタイムライフ・ビルディング40階あたりから50分のリールを交換しながら、夜から撮り始めた。電話の相手はウォーホルについて色々と質問しているようだ。メカスはそれに対して自分の体験に基づいて丁寧に答える。「とてもオープンな人だった。すべてを祝福するような。」、「非常に精確に仕事をする人だった。」というメカスの言葉が印象的だ。相手の最後の質問はフルクサス運動との関係に及ぶ。「私にとっては」と強調しながらメカスは答える。「ウォーホルは紛れもなくフルクサスのアーティストだった。ジョージ・マチューナス(George Maciunas)を尊敬してたよ。」


アンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)に関しては知らない人のほうが少ないだろう。彼をポップアートの代名詞にした、キャンベル・スープ缶やコカコーラの瓶などをモチーフにした絵画作品やマリリン・モンローエルビス・プレスリーなど有名人のシルクスクリーン作品も見たことのない人のほうが少ないだろう。しかし、あまり知られていないことが二つある。チェコスロバキア(現在のスロバキア)からの移民二世であり、父親はロシア語方言を話すルテニア人だったこと。*1遺作がレーニンのポートレイト「レッド・レーニン」(1986)であること。*2

メカスがその舞台裏を語る映画「エンパイヤ」(1964)は1964年7月25日の午後8時06分から翌26日午前2時42分までエンパイア・ステート・ビルディングロックフェラー財団の入ったタイムライフ・ビルディング41階から固定カメラでワンショットで撮影された、16ミリ、白黒、無声、8時間6分の実験映画として知られる。ウォーホル自身によれば、この映画のポイントは「過ぎ行く時間を見る(see time go by)」こと、だという。*3

Kino Balazsにメカス自身の興味深い「証言」があるので、孫引きする。

ジョナス・メカスの証言(『美術手帳』1994年8月号)
 彼が映画づくりを始めると、僕は、それがなにか重要なことだと気がついた。つまり、リアル・タイムに集中したシネマとでもいうのかな。瞑想的なシネマは当時どこにもなかったし、シネマのはじまり、一八九三年のリュミエール兄弟の作品に戻っていくものだった。パリの街角やなにかを見つめる人びとの顔を写した兄弟のシネマは、二十秒、三十秒とひとつのシーンが休まず続く。アンディの場合はそれが六時間、八時間だ。…… もちろん、六二年から六四年当時の動きも見逃せない。たとえば音楽家ラ=モンテ・ヤングのコンサートにアンディと一緒に行ったことがある。二番外のスタジオで、ヤングはたったひとつの音譜を、たったひとつだよ、三時間四時間五時間かな、演奏(?)するんだ。ヴァリエーションをつけて。それから、ジャクソン・マックロゥの詩の朗読に「フィルムのためのエスプリ」というのがあってね。それは、一本の木を何時間もかけて撮る実現しないフィルムについての詩だった。こういった時間感覚が、当時の空気にあったということだね。

また、日本でフルクサスの精神を継承していると思われる一人松岡正剛さんは、伝説的なマガジン『遊』創刊にまつわる、ウォーホルにも関係する興味深い逸話をここで明かしている。

アンディ・ウォーホルは動かないエンパイア・ステートビルを撮り続けたり、リンゴが腐っていくのを撮ったりしていた。僕はそれらを見て、あ、これがエディティングなのか、と思った。僕にはまったくないものだ、雑誌を見たりしてこれがメディアと思っていたけれど、時間の芸術としてのビデオの中身は編集で、エディティングに徹底して噛んでいるんだ、と初めて知ったのです。それでやっと映画というのもこれは編集なんだ、と合点できた。まさにカット、カットの連続ですからね。
 そしてビデオはその編集の権利をユーザーに渡すメディアなんだ、これはすごい、と思ったわけです。けれども雑誌で、ここから早送りボタンを押した、とはつくれない。どうすればいいのか。いろいろ考えこみました。しかし、パイクがもたらしたこのビデオ・エディティングというメソッドを生かそうと決めた。例えば、あるページまで読むとそこで文章が切れて、何ページか飛ぶ。ある号で書いたものが途中で終わっていて、そのあとの3号目のある文章と合わせないとわからない、とか。そんなことがパッと浮かんだんですよ。でも、そのころはあんまり自信がなかったんだね。

時間と編集。非常に重要なテーマに収斂した。思いも寄らなかった。

*1:いつもカタカナ表記する際に戸惑う変わった姓"Warhol"は父方のスロバキア語の「ヴァルホラ(Warhola)」に由来するようだ。

*2:このあたりにはアンディ・ウォーホルの前衛的、実験的活動を促した最も深い動機を探ることができそうだ。レーニンの地下活動とニューヨークのアンダーグランド・アートの活動との関係など。

*3:英語版Wikipediaの項目"Empire (1964 film)"MoMAの記事Lumenの記事が事実にもとづいた客観的な情報を提供してくれる。