ニューヨークの農民

イメージフォーラムの澤さん、アニメーション作家の倉重さんとは初対面かつ短時間だったが、色んな話をした。仕事柄国外の映像作家と会う機会も多い澤さんは当然ジョナス・メカスにも会っている。三年前、メカスがヴィルジニー・マーシャンと共に99歳の誕生日を迎える大野一雄を訪れるために来日したときである(Virginie Marchand, Jonas Mekas and Kazuo Ohno:365Films by Jonas Mekas参照)。そのときのメカスの様子を懐かしそうに語ってくれた。イメージフォーラム・フェスティバル2008の審査員としてメカスを招く計画もあったが、いくつかの理由から実現しなかったことを残念がっていた。「三上さんは、メカスに会いにニューヨークに行かないんですか?」と訊かれた。「行きたいけど、なかなか都合がつかなくて...」と口では答えながら、短時間では語り尽くせない反対の思いが巡っていた。

ジョナス・メカスの365日映画(365 Films by Jonas Mekas)」紹介を通して毎日会っていたような気がしていたからか、いつの間にか実際に会いに行きたいとは強く思わなくなっていた。

ところで、ミカさんが、現在住むサンフランシスコに比べて「ニューヨークがいかに住みづらい場所であるか」について書いていたことにハッとした。

ニューヨークに住んでいた時には、近所の街の情景に対する共感のような感情を抱くことがなく、いつまで経っても自分の体との隔たりを感じていて、それが時に苦痛だった(職場付近だったタイムズスクエアの情景など、今となっては思い出したくもない。あのネオンを視界に入れたくないために、遠回りして地下鉄に乗っていたこともあった)。
「週末から今週半ば」

スケールも強度も桁違いだろうが、私も今住む街に隔たりや苦痛を感じない日はない。ただ私の場合はとにかく歩くことを通して隔たりを埋め、苦痛を誤摩化しているようだ。

ジョナス・メカスはどうだったのだろうか。ニューヨークに隔たり感や苦痛がなかったわけがない。故国リトアニアを追われ、辿り着いたニューヨークでの長年の過酷な生活の中で、ニューヨークがいかに住みずらい場所であるかについて、たくさん書き残している。しかし「私の故郷は映画である」とか言いながら、かれこれ半世紀以上もそこで暮らしている。私が間接的断片的に知る限り、ジョナス・メカスはまるでニューヨークで農民として生きているような印象がある。ニューヨークのなかでリトアニアの農村の時間を「再生」してきた、生きてきた。いつどこででも好ましい時間を再生することができる。それが彼の「映画人生」なのかもしれない。

私はメカスに会いにニューヨークに行きたいと強くは思わない。サッポロでメカスのように生きたいと思っているようだ。