言語哲学入門

受講生の皆さん、こんばんは。

私たちは映画『ヴィトゲンシュタイン』を三つの層で観たことになります。先ず、ごく一般的な観方。実在した哲学者ヴィトゲンシュタインを「描いた」映画として批評的に観る。いわば外在的な観方。第二に、ジャーマンの思想にしたがって、映画そのものを観る観方。いわば内在的な観方。そして第三に、今日の授業で説明した、ジャーマンさえ予想しなかった見方で観る観方。

映画『ヴィトゲンシュタイン』には、「俺なら、あの男とちゃんと付き合えるよ。救ってあげられるよ。」とでも表現できるようなジャーマンの「愛」に溢れた眼差しが映っています。それはジャーマン自身思い及ばなかった見方であるかもしれませんが、最も深い、大切な観方です。

なぜなら、それは、もし私の目の前に「こんな男」がいたら、私は彼を救うことができるだろうかと自問することに繋がり、さらには、私は私自身をちゃんと救うことができているだろうかと自問することに繋がるからです。「救う」とは「愛する」ことです。そしてそこから始まります。何が?人生が。

かなり「回り道」しましたが、こうして私たちは実は『論理哲学論考』のもうひとつの「入口」の前まで来ました。次回からいよいよ『論考』の中に歩み入る予定です。