言語哲学入門

受講生の皆さん、こんにちは。

前々回、前回と敢えて「教科書的」解説に重きをおいた授業を展開しましたが、いわゆる「キーワード的学習」はほんの端緒にすぎず、後から「投げ捨てるべき梯子」みたいなものでしかないことを肝に銘じてください。

とはいえ、前回配付した資料の中で登場した「論理空間」をはじめとする数々のキーワードの意味を再確認し、それらを相互に関連づけて有機的な全体として把握する努力をしてください。

(例えば、
......論理空間と呼ばれる思考のネットワークの中でノード(結節点:交差点)にあたるのが「(要素)命題」です。それらは「論理的な場所(足場)」と呼ばれます。個々の命題は「述語」と呼ばれる普遍的な論理形式を持つとされます。述語の「変項(穴)」を埋めるのが「名」であり、名が意味するものが「対象」です。ところが言語が持つ無尽蔵とも言える命名-対象化能力によって、名と対象も無制限の広がりを持ってしまいます。その点で巧みな「制限」を設けるのが論理学ですが、L.Wはそこにさらなる深淵を発見してしまった。すなわち、命名と対象化の根底に「私」による「この〜」という現実的な操作が暗黙に組み込まれている。したがって、「名」の本当の意味(対象)は「私」にしか把握することはできないため、「対象の総目録(カテゴリー表)」は作成不可能であり、「言語」は根源的に「私の言語」であらざるをえないことになる......)

そして最終的にはピンとくるイメージとして心に刻むことが必要です。その意味では「語られた言葉はどのように短いものであれ、思考の全宇宙とともに与えられる」という文に注目してそれが喚起する豊かなイメージを忘れないようにしてください。

次回はいよいよ「生をめぐる思考」に入ります。