言語哲学入門2007 第5回 対象とは何か

私たちはまず若きウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で企てた思考の限界、すなわち言語の限界を画定しようとする無謀とも思える探究計画の全体像を概観しました。次に、その探究の開始として、あくまでこの現実世界の最も厳しい了解から出発することの大切さを肝に銘じました。物の総体ではない、事実の総体としての世界です。そこからいかにして私たちは事実を超えた可能性に到達することができるのか、その一種の往復運動を垣間見たわけです。すなわち、一方では世界を事実の総体として了解しつつ、それと同時に他方では私たちは事実を対象へと解体している。

そうすることができるのは、世界の代理物、表象、「箱庭」、ウィトゲンシュタインの用語では「像」として働く言語のお陰であるということが最も重要なポイントでした。事実の総体としての世界から出発してどこかへ向かうことができるのは、つまりは考えることができるのは、事実の構成要素としての対象を代理する像としての名の新しい結びつきの可能性のお陰である。その可能性の全体、つまり言語の限界がまさしく思考の限界を形作るというわけです。それをウィトゲンシュタインは「論理空間」と命名しました。今後その「論理空間」の内実を詰めてゆくことになります。

さてそのための次の一歩として今回は、一見なるほどと見える、事実を対象へと解体するとはどういうことなのか、そもそも対象とは何なのか、という私たちの世界了解の根幹に関わるウィトゲンシュタインの独創的な考え方を紹介します。それは私たちがいつの間にか母(国)語を習得したプロセス、そして普段ほとんど意識することのない言語使用の背景にも深く関係します。

講義項目:

1内容と形式
2知る以前の了解
3事実は対象に解体され、命題は名から構成される
4論理形式
5性質や関係も対象である
6対象を捉えるには言語全体が必要である