論理学入門

受講生の皆さん、こんにちは。

今回は、
1)論理的読解トレーニングの基礎固めのために、「接続構造」を総復習してから、
2)「ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記」と「村上春樹が語る」を読み解きました。

1)では、付加、解説(要約、敷衍、換言)、論証、例示(この4つは「順接」)、転換、制限、譲歩、対比(この4つは「逆接」)、指示、否定と量化(全称、存在)、さらに導入の計12種類について、それぞれの論理的機能(主張どうしをどのようにつなぐか)を再確認し、現在開発中のマーキングを紹介しました。マーキングのアイデア募集中とアナウンスしたところ、早速二つの提案がありました。嬉しいことです。採用を検討した上で次回紹介します。一部にマーキングに関する誤解があったようです。それらは文章を記号を使ってわざわざ構造化するためのものではなく、文章がそもそも持っている構造を明るみに出すための手助け(補助)にすぎないことを銘記してください。目標はマーキングしなくても一度読んだだけで、結論にいたる道筋が読み取れるようになることなのですから。そしてそれ以上のニュアンスも汲み取れるようになることなのですから。

2)では、1)に時間を取られてしまい、高村薫「「私」消え止まらぬ連鎖」と中村うさぎ「消費いざなう破滅願望」、「旧約聖書1創造」の読解はできませんでした。次回(来週は文連祭のためお休みですから、再来週)必ずやりますから、プリントを持参してください。かなりスリリングな読解になりますから期待してください。「ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記」については前回不十分だった解説を補いました。「転換」表現の多さはウィトゲンシュタインの「心の揺れ」の反映であるという鋭い批評を書いてくれた人が多く非常に感心しました。「村上春樹が語る」に関してはインタビュー記事の構成上、大きな流れは記者が作り、それに合わせて村上さんの言葉(発言)が適宜(てきぎ)挿入されていることを押さえた上で、内容的に「深い」部分だけに的を絞って読解しましたが、話言葉をそのまま文字に起こした文章の特徴である接続語と指示語の省略、大胆な倒置を確認してから、省略部分を補い、通常の主張の並び方に再構成することを通して、全体の接続構造を明らかにした、つもりでした。後半は時間が押して、早口になってしまったので、聞き取れない人もいたようですから、次回おさらいします。

3)予定していた、「思考不可能なこと」とは何か、に関する議論には、まったく入ることができませんでした。悪しからず。次回必ずやりますから、「『論考』を読む2:限界の意味」を熟読し、「ツッコミ」が入れられるようにしておいてください。「08論理は言語の形式ではなく条件である」については、前回やった「論理空間」と「論理形式」に関する別の観点からの説明にもなっていますから、必ず読んで、不明な箇所をチェックしておいてください。

最後に一言。色々考えすぎて、この講義の狙いを掴(つか)みあぐねている人がごく一部いるようです。大げさに言えば、(現代)国語的印象と数学的印象の間で引き裂かれてしまっている人です。そういう人へのアドバイスです。表面に惑わされずに、それこそ「つながり」を見透(みすか)してください。あなたの印象は間違っていない。むしろ精確です。ただ、その印象の奥にある「つながり」を見通すことが不足しているだけなのです。つまり(現代)国語と数学をつなぐ「つながり」です。一方では言葉も「記号」の一種であり、思考は特別な種類の「計算」です。他方では、記号は特殊な言葉であり、式は特殊な文です。国語力(?)と数学力(?)をことさらに差別する必要はありません。むしろ両者をともに生かせるような頭の使い方ができるようになったほうがいい。それがこの講義で皆さんに身につけてもらいたいと切に願っている「論理(力)」なのです。どうですか?すっきりしない点があれば、遠慮しないで、コメントするか、メールするか、研究室に押し掛けるか、とにかく対話を仕掛けてください。