共通言語化をめぐって:桃知利男さんの卓見

『ももち ど ぶろぐ』の桃知利男さんが昨日の私のエントリー「共通言語:Crowdsourcing」に非常に興味深い観点から言及してくれました。
2006年08月11日「ミーム進化としてのクラウドソーシングCrowdsourcing」http://www.momoti.com/mt/mt-tb.cgi/208
桃知さんは私の議論の不足な箇所を的確におさえて、Crowdsourcingの具体例、「ミーム進化」の観点からCrowdsourcingの進化的動向を追跡する方法、そして「共通言語化」にまつわる現実的な問題点などをめぐって非常に興味深い持論を提示され、結果的に私の議論をより現実的なフレームのなかに位置づけてくれました。
なお、「ミームmeme」とは「生物遺伝子」(ジーンgene)ならぬ「文化遺伝子」を意味する言葉、文化現象解読のための優れた共通言語のひとつです。
まず、私にとって興味深かったのは桃知さんの興味の持ち方でした。

私が興味を持ったのは、クラウドソーシング Crowdsourcingという指し示しが、「共通言語」--つまり「ミーム」であり新しい「種」だろう--になりそうだということである。その進化の過程が、ウェブを観察することでみることができるのかなということだ。

そしておそらく経験則からではないかと推測するのですが、桃知さんは次のように述べています。これは実感の籠った問題提起だと感じました。

実態が一般化〈する/しない〉とともに、その名指しもまた一般的に使われる言葉(共通言語)に〈なる/ならない〉のは当たり前のように思える。

つまり、共通言語化よりも実態の一般化が先行する、という主張です。うーん、どうなんでしょうか。これは、「共通言語」を実態のたんなる名前ととらえるか、実態の動向をも支配するようなもっと深いコンセプトの現れととらえるかによって、議論は分かれるように思えます。私の立場は後者です。
いずれにせよ、桃知さんの卓見は、クラウドソーシング Crowdsourcingという「共通言語」に関して、新しい動向の実態の把握とそれを指示する名前を慎重に分けて考えようとする点と、新しい動向をウェブ進化とミーム進化という相互参照的な非常に柔軟な観点から捉えようとしているところにあるように思います。これは非常に興味深いスタンスです。
次に、Crowdsourcingの具体例として桃知さんが言及するCNET Japanで紹介されたMycroftは、私も非常に関心があります。
CNET Japan 2006/08/07「クラウドソーシング」を体現するMycroft
http://japan.cnet.com/column/somethingnew/story/0,2000067121,20194287,00.htm?ref=rss
Mycroft - Technology Needs People
http://www.mycroftnetwork.com/
そして最後に、私が一番ドキッとしたのは、新しいビジョンを表す言葉が一般化する条件に関する桃知さんのスーパーリアルな意見です。

一方、「Tagging, Social Tagging, つまりはFolksonomy」で書いた「キアスム」や、三上さんのブログにあった「アーキペラゴ」という言葉が一般化することはあるのだろうか。可能性を求めるなら、それを狭い円環からひきずりだすことが必要だろうと思う。
これらは元々が狭い世界の象徴であり、権威のおこなったTaggig(指し示し)である。であれば、これが「クオリア」並に一般化するには、権威からひきづり落としてやる必要があるのだと思う。そのためには、茂木健一郎氏ぐらいのトリックスターの存在が必要だと思う。「キアスム」は中沢新一氏が使ってはいるけれども、さてどうだろう。 (笑)

この指摘にも、共通言語化にまつわる根深い二項対立的図式、すなわち「一般化=大衆化/専門化=権威化」をいかに乗り越えるか、という難しい問題が含まれているように思います。桃知さんが指摘するように、確かに今福龍太さんや吉増剛造さんは茂木健一郎さんのようなトリックスターではないと思います。しかし私の直観では二人はより本質的なトリックスターです。茂木さんは確信犯的なトリックスターです。ご自身もそう自覚して演じているはずです。「芸」というやつです。それがなければ、すくなくとも日本のマスメディアでは一般化するのは困難、事実上不可能でしょう。そしてそのような役者、語り部は絶対必要だとも思います。しかし、そのことで、容易に一般化しないが、しかし非常に本質的なトリックスターたちの仕事の価値を見失わないようにしたいとも思うのです。ですから、少なくとも私にとっては「共通言語」の問題は言葉の一般化の問題とは微妙にずれています。

追記。上の文章中、茂木健一郎さんを過小評価していると誤解を招きそうな箇所がありますが、決してそんなことはありません。むしろトリックスターを確信犯的に演じる情熱と才能には心底敬服しています。私はここ数日間、仕事の合間に『クオリア日記』すべてを読み、27本アップされている東京芸大での授業などの音声ファイルを聴きながら(といっても、一本90分くらいありますから、まだ10本目ですが)非常に深く大きな刺激を受けています。そして例えば「アーキペラゴ」が「クオリア」のようには流通しない理由について、ambivalentな感情を抱きながら、考えています。