『横浜逍遥亭』の中山隆さんが、ブログというメディアの不思議な特性を前向きに手堅く考察する文脈で、私も昨日取り上げた「共通言語」の重要性に触れているのが目に留まった。
2006/08/10「誰に向けて」http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060810
中山さんはブログというメディアが本来持つであろう特性から、旧来のメディアの焼き直しではない方法論を引き出そうとしている。中山さんは、従来のオーソドックスなブログの書き方とははっきりと位相の異なるブログの方法論を次のように明快に述べている。
これと二律背反的に存在するわけではないが、もう一つの考え方は、検索エンジンを頼りに情報収集に精を出す潜在読者を対象にするWeb2.0型媒体の発想である。そこでは、もちろんキーワードが絶対的な重要性を持つ。ある意味でそれがすべてである。複数のキーワードを用意し、仮にそれらがそれぞれ独自の光を放つものであれば、キーワードAとキーワードBが何ら連関を持たずとも媒体は成り立つ。スポーツの話と、オーディオの話と、小説の話と、マーケティングの話と、技術の話。それらを手変え品を変え語り続けながら、それぞれには何ら交わることがないお客さんを獲得していくことが出来る。僕が感じているブログの不思議はそういうことだ。これは読者にとっては特別なことを意味するものではないが、情報発信をする側の人格と意識にとってはかつてはありえなかった舞台装置である。
「それぞれには何ら交わることがないお客さんを獲得していくことが出来る」ような「ブログの不思議」を「情報発信をする側の人格と意識」にとっての未曾有の「舞台装置」と読み替える展開は見事である。そしてさらに、中山さんはブログにおける情報発信者の具体的な方法論の一つとして「共通言語」の問題に触れている。
この新しい世界で大きな重要性を持つのは「ものの名前」だ。産業用語を使えばブランディングの才、もっと直裁に言えばコピーを作る能力が非常に重要となり、それらを共有することの意味や価値が問われるようになる。共通言語の問題だ。その現場でオールドメディアや既存の権威が白亜紀のティラノサウルスのように幅を利かせるのはますます難しくなるだろうが、では権力はどこに移るのか。
最後には「権力はどこに移るのか」という超難問へと転移接続する中山さんの問題意識は鋭い。