ホイジンガやカイヨワによる「遊び」の探究を俟つまでもなく、私たちは「遊び」や「ゲーム」という語をかなり幅広いイメージの振幅の中で意味深に使用する。まじめな勉強や仕事の対極に位置づけられるかのような、ふまじめな「遊び」から、人生の「真実」を言い表そうとする「遊び」に至るまで。恋愛ゲーム、人生ゲーム、戦争ゲーム、言語ゲーム、等々。かと思えば、ゲーム理論という数理的な研究分野もある。そして、いわゆるテレビゲームやビデオゲームのような様々な商品としてのゲームもある。さらにネット上のオンラインゲームの数々。囲碁、将棋、チェスから典型的な物語類型に基づいて設計された参加型ゲームの数々。
今までオンラインゲームに全く興味のなかった私がSecond Lifeに興味を持ったのは、梅田さんの記事(http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060807/p1)で取り上げられていたJeff Howeのブログ「Crowdsourcing---tracking the rise of the amateur」の最新記事で、Second Lifeが言及されていたからだった。(梅田さんの期待に反して、彼はどうも「やる気」を失ったようだが)。
August 11, 2006「Second Life, and Gwyneth Llewelyn」
http://crowdsourcing.typepad.com/cs/
Second Lifeの本家のサイトはhttp://secondlife.com/
最初はSecond Lifeとは何のことかさっぱり分からなかった。色々調べて行くうちに、それはいわゆるMMOG(多人数同時参加型オンラインゲーム)の中でも異色のもので、かなり「凄い」らしいということが見えてきた。憲法学者のレッシグが「そこで」講演会を開催したとか、デュラン・デュランが「そこで」コンサートを開催する予定だとか、BBCが「そこに」土地を買ったとか、有力なベンチャー・キャピタルが日本市場向けの日本語版開発のために巨額の投資をしたとか、学校の授業を「そこで」行った事例が少なくないとか、大学の研究者が「そこ」を研究テーマにしているとか、様々な障害を抱えた人々が「そこで」救われた多くの事例とか、すでに日本円で1億円以上が「そこで」動いているとか、さらにSLをはじめとするゲームが「社会変革」につながる可能性を検討する会議が開催されたとか、等々の事実を初めて知って私は驚いた。
Jeff HoweはあくまでCrowdsourcingの観点から一種の「metaverse」(*)であるSecond Life(SL)を経営する会社Linden Labの「やり方」に注目しているようだ。
『Linden Lab』http://lindenlab.com/
そして特に傑出したSLの住民であるGwyneth Llewelyn(Gwyn)のブログの次の記事に注目している。
「CROUDSOURCING IN SECOND LIFE」http://gwynethllewelyn.net/article76visual1layout1.html
Jeff Howeは彼女Gwynの分析から「何か」を掴んだようだが、それをうまく表現するにはもう少し時間がかかるそうだ。
ところで、Jeff Howeが注目する「Croudsourcing」の文脈からは逸れるが、私はGwynのブログで「SL Philosophy」というカテゴリー付けされた二本の記事に興味が湧いた。
「What is `real` anyway? - An essay by Extropia DaSilva」
http://gwynethllewelyn.net/article75visual1layout1.html
「The Post-Human Perspective of `Self´ by Extropia DaSilva」
http://gwynethllewelyn.net/article77visual1layout1.html
彼女は同じSLの住民らしいExtropia DaSilvaによる大変興味深い哲学的エッセイを引用することで、Second Life(SL)とReal Life(RL)の間の明確な区別を前提としたナイーブな認識と議論を揺るがし、SLの実態に即して、「リアル」と「自己」に関する新たな、正しい(?)認識を提唱しようとしている。(詳細は別の機会に。)
たしかに、常識では、現実社会があって、そこで営まれる生活や仕事があって、私たちの人生はそこを一生降りることができない舞台として死ぬまで進行する。「第二の人生」といえども、あくまでそれはそこ、現実社会において残りの人生を違った生活や別の仕事にシフトさせることにすぎない。
このような常識的な人生観とは異なって、人生の舞台としての社会(空間、宇宙)を丸ごと新しく創造してしまおうではないか、という、ある意味ではいかにも「アメリカ的な」コンセプトで始まったのがSecond Lifeである。そのコンセプトからして、またその後の展開からも、Second Lifeは他のMMOGとは明らかに一線を画す「ゲーム」である。それを「ゲーム」と呼ぶことに躊躇してしまうほどのある種のリアリティがSecond Lifeにはある。
Second Lifeをあくまで現実生活とは区別されたオンラインゲームという枠の中でさらに「生活系」と分類する向きがあるようだが、そうして理解できることはおそらくSecond Lifeの本質を取り逃がしている。Second Lifeにログインしたときから始まる「Second Life」体験が持つ意味と質は、現実生活を構成する一要素、一こまにすぎない「ゲーム行為」としてSecond Lifeが存在するという常識では捉え切れない。
まだよく見えないが、正に「Croudsourcing」によって実現されつつあるSecond Life全体としての様々な価値の創出が経済活動をはじめとしたリアル世界の様々な活動とシームレスに繋がっていること、そしてそれを支える新しい「リアル」と「自己」の哲学が生まれつつあること、そのあたりに何か大事なことが潜んでいるような気がする。
*「metaverse」に関しては、網羅的な説明は、英語版ウィキペディアにある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Metaverse
日本語による概説は『技術メモ帳』のlurkerさんによる『メタバース』http://www.metaverse.jp/からの「引用」がある。
『技術メモ帳』http://d.hatena.ne.jp/lurker/20060604
さて、タイトルに掲げたもうひとつの「Thinking Machine 4」はコンピュータ相手のオンラインのチェスゲームをしながら、コンピュータによる「次の一手」にいたる思考(計算)の過程を映像化して見せてくれる面白い試みである。
http://turbulence.org/spotlight/thinking/chess.html
自分の思考、脳の働きを、間接的に、しかもごく一面にしかすぎないだろうが、垣間みているような気分にさせられる。
それで?Second LifeとThinking Machine 4の関係は如何に?残念ながら、まだちゃんと「落ち」をつけることができません。ただ、直観的に、Second Lifeに潜む自己とリアルに関する哲学は、人間の思考とコンピュータの計算の関係をどう捉えるかという問題と深く繋がっているような気がするのです。