「ふと…(セレンディピティ)」のブログ

こうして、ある意味では所在、宛先不明の「記録」を書き連ねながら、つくづく思うことは、リアル世界とネット世界の一筋縄では行かない関係のことです。『横浜逍遥亭』の中山さんのように、明確な「方法論」を立てられない私は、書くたびに、書く足場が大きく揺らぐのを感じています。しかし、小説家や詩人はリアル世界でそのような揺らぎの中で書き続けているんだよな、とふと思いました。と、書いて、「ふと」という日本語を、もう10年ほど前でしょうか、今や茂木健一郎さんの専売特許になった感のあるセレンディピティserendipityに相当する訳語として採用した本が出版されていたことを、「ふと」思い出しました。調べてみたら、ありました。
「ふと…(セレンディピティ)」の芸術工学

私が敬愛する破格のデザイナー杉浦康平さんによる「編集」です。
しかし、一昔前の「ふと」は多分に受け身の「ふと」で、各界のプロの経験を伺うという文脈での話だったように記憶しています。それに比べて近年茂木さんが称揚するセレンディピティはもっと能動的な、生き方の方法論にまで昇華された誰もが持つ能力としての「ふと」であると思います。何かをきっかけにして無意識が意識の界面、海面に急浮上する通常は意図せざる働き(「不図」)を少しでも意識の側に近づけておくという方法論はかなり魅力的です。
「ふと…(セレンディピティ)」のブログ、というブログ方法論はいいかもしれない。