熱いデザインと冷めたデザイン


杉浦康平のデザイン (平凡社新書)


臼田捷治は、現在の日本のグラフィック・デザイン、とくにブックデザインは、杉浦康平のデザインとは対照的に、痩せ細って微温的になってしまっていると述べている。

 現在の日本のグラフィック・デザイン、とくにブックデザインはまるで「何もつくらない」、もしくは「何もつくっていないように見せる」デザインがよしとされているかのようだ。<ミニマム・デザイン>といえば口当たりはよいが、ダイエットのし過ぎのようなデザインへと、雪崩をうつかのような画一化の道をたどっているように見受けられる。私はそうしたギリギリの、シンプルさの臨界を極めようとするあり方が分からないではない。このミニマリズムもまた私たちの琴線に触れる伝統的な美意識であるから。いうならば<引き算>の美学だが、それはいわば後戻りキップのない終着点に立っているようなもの。その覚悟をもって臨んでいる限りでは問題ないが、それが単なる表面的な流行にとどまっていないことを祈るのみだ。
 それに対して、これまで見てきたように杉浦デザインの特色は、豊かなコスモロジーの反映にある。確かな理念、思想、問題意識に裏付けられたデザイン語法を深く、広く掘り下げてきた。杉浦の播いた種が豊穣な稔りとなって、同世代および次世代が共有できる<語法>となってきたことが何より証左である。
 それゆえに、意欲あるデザイナーであればあるほど、ことあるごとに杉浦が残した恩沢に行きあたるはず。とりわけブックデザインとダイアグラムにおいては、参照すべきアーキタイプを無尽蔵といってよいほどに内蔵しているといってよい。
 デザインが痩せ細って微温的になってしまった今こそ、杉浦の活動の意義の再検討が迫られているといえるのではないだろうか。
 なお、2010年度には、関係者の努力によって、杉浦の全作品が、彼が蒐集したアジア関連資料などとともに、武蔵野美術大学の美術資料図書館に収納されることが決定した。(248頁〜249頁)


私にも講談社現代新書で心当たりがある。かつて杉浦康平が装幀を担当していた頃には新書としては抜群の存在感、深みと広がりを示していて、装幀のデザインを見る喜び、読む喜びさえ与えてくれた講談社現代新書が、杉浦康平が装幀を降りてからは、極端に単純な冷めたデザインの装幀に変り、それ以来、実は手に取ってみることが激減したという経験がある。今たまたま手元にある杉浦康平(+谷村彰彦)が装幀を担当した古い講談社現代新書と中島秀樹が装幀を担当する最近の講談社現代新書のカバーと表紙のデザインを比較してみる。



左は杉浦康平+谷村彰彦が装幀を担当した1989年発行のカバー表。右は中島秀樹が装幀を担当した2007年発行のカバー表。



カバーを外した表紙のデザインの比較。


一目見て明らかなように、杉浦+谷村デザインの方は、書体にまで強くこだわった、本の内容を反映する「表情」豊かないわば「熱い」デザインであり、中島デザインの方は本の内容には敢えて無関心を装ったようなある種の計算に基づいた表情のない冷めた正に「微温的な」デザインである。本の内容と深く対話するようなデザインと本の内容には敢えて触れないデザインの違い。このような違いをどう評価すべきか。この点は、デザインを生業とする人たちに尋ねてみたいことでもある。ちなみに、本書『杉浦康平のデザイン』は菊地信義が装幀を担当する白抜きの「楕円(卵?)」と「鳩」の図柄および書体の工夫が印象的であるものの、杉浦ほど熱くなく、中島ほど冷めてもない、中間的なデザインの「平凡社新書」である。


翻って、杉浦康平のデザインにおける「音楽性」について語るくだりで、ある面白いエピソードが紹介されている箇所にひっかかった。臼井氏によれば、杉浦康平の事務所ではいつも妙なる音楽が、臼井氏には特定できない、いわゆる現代音楽が流れていたという。しかしある時一度だけ彼にも分かる音楽が流れていたというのである。

一九七〇年代だったと記憶しているが、韓国人気歌手、李成愛(イ・ソンエ)の哀切な演歌が事務所に流れていたのである。来日して人気を集めたが、絶頂期に母国に戻ってしまった女性歌手である。「杉浦さんは演歌を聴くこともあるのか?」と意外に思ったものだが、私が特定できたのは前にも後にもこれ一度きり。杉浦事務所で演歌(日本人歌手ではないが)を聴いたのもこれが最初で最後である。ジャズが流れているのも聴いたことがない。グラフィック・デザイナーの間でかつて人気の高かったジャズも杉浦は好みではないと思われる。ジャズを杉浦はなぜ好まないのか? デザイナー=ジャズ好み……といった図式に抵抗があったのか? これも杉浦のデザインの背景を考えるにあたって重要な手がかりになるはずであるが……(18頁)


ここは、杉浦康平を尊敬する余りに、杉浦康平のデザインを批評する視点の浅さが歯切れの悪さとして露呈している箇所であるように思われる。杉浦康平は決してジャンルとしての「演歌」を聴いていたのではないだろう。同じようにジャンルとしての「ジャズ」も聴かないだろう。李成愛(イ・ソンエ)の哀切な歌声に何かを聴き取っていたはずであり、もしかしたら、ビル・エヴァンスのピアノの音色にも何かを聴き取っていたに違いないと思うのだが、、。