叔父の葬儀2

叔父の葬儀二日目。告別式を終え、叔父の遺体と一緒に私たち親族はマイクロバスで火葬場へ向かった。到着した火葬場は真新しい巨大な建築物で、内部は宇宙船内を連想させるような、細長い空間の片側に焼却炉が、数える気にならないほど沢山ならんだ異様な空間と、遺族の控え室や、屋外テラスを含めたコモンスペースや、売店、レストラン、託児室、喫煙室まで設けられ、床は厚手の絨毯が敷き詰められた高級ホテル並みの豪華な空間から成っていた。頭のてっぺんからつま先までビシッと決めた初老の男性担当者は、遺体が灰になるまでに一時間半かかる、と告げた。それまでの時間をやりすごすための、さまざまな工夫やサービスが凝らされていた。高級マッサージチェア、血圧測定器が設置されたコーナまであった。火葬場内ではベルトコンベアに乗せられてすべてが自動的、機械的に進行するかのようだった。それは儀式というものの近代的な究極の姿なのかもしれないと感じた。が、他方で私は強い違和感を抱いていた。私は今まさに叔父の遺体が焼かれていることを忘れないようにするのが難しかった。

叔父が灰になるまでの間、まず私たちは昼食用の弁当と各種ドリンク、アルコールが用意された遺族控え室に案内された。飲食しながら、昨日初めて会ったばかりなのに、すっかり打ち解けた外戚の方々と思いつくままに色々な話をしている間にも、私は、あの叔父の遺体が灰になるという事態を、どう受け止めればいいのか、と考えていた。2年前の父の葬儀の際には、そんなことは考えもしなかった。30年前の母親の葬儀以来、何度も体験していたはずの事態の本質に、今日まで私は直面するのを避けてきたような気がする。

きっかり1時間半後、私たちは「収骨」の儀式に臨んだ。火葬場の職員たちは、何度か「遺体が焼き上がる」という表現を用いた。「焼き上がる」。「上がる」とは、ちょうどよい状態を指す。それは容易に細かく砕ける堅さの骨の形をちょうどよい量を残して焼くということだ。そこにはいくつかのファクターを考慮した、それなりの計算がはっきりと感じられた。そして二人の女性担当係は、たとえ、骨と灰に直面しても、可能なかぎり、その生々しさの刺激を軽減させる、しっかりと組み立てられた、機械的な段取りを、てきぱきとこなし、骨と灰を「身体の輪郭」から少しでも早く「骨壺」へと移そうとしているかのように見えた。それでも見えるものは見える。「おじいちゃんのほね?」と従姉妹の4才の息子が瞬きもせずに食い入るように見つめていた。その子の透き通った眼が印象的だった。

収骨後、間もなく、私たちは火葬場を後にした。往きと同じマイクロバスの中には、もう叔父の遺体はなく、往きに棺を置いていたスペースさえ、跡形もなく消え、どういう仕掛けになっているのか、その場所は他と同じ座席に変化していた。マジックを見せられている気分になった。私たちは灰になった叔父と一緒に葬儀場に戻った。

葬儀場では、すでに「繰り上げ法要」の準備が整っていた。昨日から喪主と施主をしっかりと勤めてきた従弟と従妹は、最後の挨拶を立派に終えた。

昨日から今日にいたる葬儀、葬送の全プロセスは、事態の生々しさを感じさせない配慮が可能なかぎり尽くされたものだった。そこには直な感情を吐露する隙間も、それを受け止めるような器も何もない。それは死に直面した心を守るための知恵を極限にまで洗練させた現代的なひとつのシステムなのだろう。私は何度も、深い動揺を必死に押さえようとする従弟と従妹を抱きしめてやりたい衝動にかられたが、それを押しとどめる力が私にも強力に働いた。私は結局、彼らに形式的な言葉をかけてやることしかできなかった。

ヒトは脆い、弱い、不安定で臆病な生き物だ、という考えが浮かんだ。愛する者の死や遺体の焼却を直視することは難しい。なるべく見ないで済むようなイメージや表象を持ち出して、それらの背後に生々しい現実を巧みに隠す。それでも、最期には、骨と灰には直面しなければならない。死は人間にとって最大の偶有性だと思う。それは不思議な仕切り、スクリーンのように、過去を映し出し、押さえていた、否定していた感情をも表出させる。そして、ばらばらだった人たちを、想像の中で、実際にも、近づけ、互いに配慮するようにしむける。これは、僥倖と言えるのかもしれない。