未来:HASHI[橋村奉臣]展を訪れて4

知らずに想像することの容易さと知った上でなお想像することの難しさについて考え始めていた。私はHASHIさんの写真について本物も見ずに、しかも技術的なことを知らずにその複雑な印象の意味を想像していた。そして、今、立松和平著『十万分の一秒の永遠』(アートン)をやっと読了し、HASHIさんのこれまでの人生の険しかった道のりやそれを乗り越えてきた心意気と覚悟と思想とたゆまぬ探究心と徹底的な実践、そしてスティル・ライフの背景にある驚くべき技術やHASHIGRAPHYに籠められた二十年の歳月、己の中のビジネスとファイン・アートのせめぎ合い、己のアイデンティティをめぐるアメリカと日本の葛藤、等々の事実を知った上でなお、私は私が実際に見た写真たちと、実際に会ったHASHIさんから感受した印象の中に、知識として得た情報ではない、何かを探り当てようとしていた。それは私は私の人生を私のやり方で生きるしかないという、ある意味では当たり前の認識を一段深めることを意味していることに気付き始めていた。

結果がすべてであり、言い訳は一切許されない、そんな過酷な闘いの緊張の連続の中で生きて来られた橋村さんは、私から見て、ご自身も気付いておられない節のある、ほとんど本能と化したような瞬間の反応の連鎖を言葉のやりとりの中でも生きていらっしゃった。それこそ、文字通りどんな一瞬にも全身全霊をかける姿勢は、常に「未来」を信じ指向する心の、必ずしも報われるとは限らない無常さをも湛えた、愛おしく捩じれた不思議な形を感じさせる。真摯に「未来」を指向することは、決して楽観ではありえない。悲観の底の底を眩しく照らす強力な光源がなければ、未来など標榜できるわけがない。

(ここから、美崎薫さんの「記憶する住宅」プロジェクトへの通路も見えて来る。fuzzyさんからは刺激的な催促が送られているが、もう少し時間が必要だ。)

STILL LIFE―a moment’s eternity《一瞬の永遠》

STILL LIFE―a moment’s eternity《一瞬の永遠》

HASHI[橋村奉臣]展の展示室に足を踏み入れた私はのっけから度肝を抜かれた。「これが、あのウェブサイトで見たと思っていた『喜び』か?』。それは第1部『瞬間の永遠』の代表作であり、トップバッターだった。私はその全く違う強烈な印象に茫然自失した。十万分の一秒の世界では日常世界の液体はまるで結晶化した個体として「存在していた」。そしてそのフォルムは限りなく美しく複雑に捩(ね)じれていて、しかも完璧なシンメトリーの印象さえ与えた。さらに全体からは多彩な喜びの声が弾けて聞こえてくるような聴覚的な強烈な印象さえもった。何なんだ、これは?私はすべてを何周も見て回り、何度もその『喜び(CHEERS)』の前に立っていた。遠くから近くから、斜めから、自分の眼の性能を確かめるように、私は見入っていた。そんな私の異常な様子を『横浜逍遥亭』の中山さんが暖かい眼差しで捉えてくれている。面白い。学生の「ねぷた」君が書いていた「見ようとしても見えない自分」の姿が中山さんによって活写されていて驚いた。

自分が関わる現実の底の底まで知り尽くした上での、「にもかかわらず」の可能性と希望を追求する志の別名としての「未来」を、私は『未来の原風景』よりも『瞬間の永遠』における『喜び(CHEERS)』の「複雑に捩じれて、弾けた」印象の方に感じ取っていたような気がする。その「捩じれ」が『未来の原風景』とどこかで繋がっているような気がしてきた。