アメリカ滞在後の沈鬱の1年間を経て、2006年を迎えてから、自分の中の何かが弾けて、わずか半年ばかりの間にブログ上での様々な出会いと思いも寄らない展開があって、そして奄美自由大学、HASHI[橋村奉臣]展、美崎薫邸(「記憶する住宅」)、大浦信行監督『9.11-8.15日本心中』と、何かに導かれるようにして辿ってきた中で、数え切れないくらいの驚きを体験してきた。その度に、私の記憶は深く更新された、書き換えられたような気がしている。
一番の驚き、それによって今までの私の人生と言ってはやや大げさかもしれないが、少なくともここ数ヶ月の体験の間の見えない繋がりがすべて眩しい光源で一瞬照らされてはっきりと見えた衝撃的瞬間の驚きは、なかなか書く事が難しい。それは10月28日(土曜日)HASHI[橋村奉臣]展訪問後の宴の席で、私の目の前でHASHIさんと美崎薫さんの間で起った。まだぐずぐずと自分の中の常識や偏見と闘っていた私は、HASHIさんの"pure"さを百パーセント受け止め損ねていた。それに瞬時にスパークするように全身全霊で応えたのが美崎薫さんだった。中山さんはその辺りのことを、「HASHIさんと美崎さんは気質は違えども、資質はそっくりだ」と巧みに表現している。
それは「忘却に抗する記憶の実験」によって「血を流し続ける心」の驚くべき姿でもあった。白熱する心の真の「自由」という言葉さえ脳裏を掠めた。その姿を見てしまった私は翌10月29日(日曜日)に実際に「記憶する住宅」を訪問したときにはすべてに「既視感(Deja Vu)」を抱いていた。そして、11月2日(木曜日)の大浦信行監督『9.11-8.15日本心中』観照はその驚きを裏打ちするような体験だった。「言葉を無化する」映画独自の構造を標榜した『9.11-8.15日本心中』は、抽象的な饒舌のナレーションと対談の言葉が襲(かさ)ねられる一方で、半世紀(1945.8.15-2001.9.11)を一瞬に圧縮するような圧倒的なイメージ群の神話的時間の中に、登場人物たちのそれぞれの「忘却に抗する闘いの姿」が本当の「自由」の形象として描かれていた。