永遠の現在

以下の報告は、『横浜逍遥亭』中山さんによる秀逸な美崎薫邸「記憶する住宅」訪問記と併せて読んでいただければ、より真実味が増すと思います。

2006/11/03 (金)『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪ねる(1/2)
2006/11/04 (土)『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪ねる(2/2)


物心ついたころからクジラの知性と交信しつづけている人。それが私が「記憶する住宅」を訪問して強く印象づけられた美崎薫その人だった。中山さんが生き生きと報告なさっているように、美崎さんの仕事部屋は海中を彷彿とさせるインテリアだった。

壁紙は海。ブラインドは鯨の図柄。鯨という存在に子供の頃から惹かれるという美崎さんの好みがストレートに反映されている。

絵本『くじらのラッキーくん』は美崎さんが生まれて初めて読んだ本だという。彼が今に至るまで鯨が大好きなのは、この本の影響が大きいと美崎さんは自己分析している。

美崎さんご本人は、クジラとご自分との関係を特別に意味付けしようとはなさらない。かつてロッテのビスケット、全粒粉時代のChococoが大好きだった自分と差別なく、絵本『くじらのラッキーくん』を生まれて初めて読んだ自分がいた、と意外とあっさりと認めている節がある。それは4、5歳の頃の記憶と14、15歳の頃の記憶が、途方もない記憶想起の実験の結果、美崎さんの「現在」のなかで同時に存在しているからであると考えると納得がいく。

しかし、私は軽くは聞き流せなかった。というのも、やっぱりあのクジラという存在の「悲しげな知性」とでもいうべき印象を私はかなり大切にしていたからだった。音楽家武満徹さんや詩人の岡田隆彦さんが死に際に「クジラが……、クジラが……」とか「クジラになりたい……」という意味深長な言葉を遺されたという逸話をも思い出していた私は、人間の知性の限界を超える知性のモデルをクジラの存在感に感じていて、足を踏み入れた途端、そこ、美崎薫さんの仕事部屋が海の中で、窓に何頭ものクジラが泳いでいたのに軽く目眩を覚え、極めつけに、絵本『くじらのラッキーくん』が登場して、驚きを隠せず、美崎さんに一方的に詰問していたのだった。もちろん、当の美崎さんは、私のそんな過剰な意味付けにはあまり関心は示さない。その「軽さ」がまた非常に好ましかった。

『記憶する住宅』を訪問する前日、東京都写真美術館の前でポーズする美崎さんと三上さん。鯨の話を聞いて見直すと、なんと美崎さんは自身が鯨と化してコルクの栓を頭から吹き上げているではないか! 鯨を愛する美崎さんの思念が写真を撮った僕と共振して、こんな写真になったのだ。発見!(もちろん、冗談です。念のため)

ここで触れられている写真、「『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪ねる(2/2)」の最後の写真を是非ご覧いただけたらと思う。中山さんは「冗談」と謙遜なさっているが、私はこの写真を見て、本当に驚いた。「美崎さんの思念」が中山さんの思念と共振していたという解釈も非常に魅力的だが、HASHI[橋村奉臣]展の第1部「一瞬の永遠」の代表作「喜び(Cheers)」の前に立つ美崎さんの姿を「自身が鯨と化してコルクの栓を頭から吹き上げている」と見た中山さんの中で起った記憶の連繋こそは、「記憶する住宅」のエッセンスの現れだからである。そしてさらに、それが「記憶する住宅」を訪問する前日にHASHIさんの「喜び(Cheers)」の前で、予言的に、「必然的に」起っていたことに、私は美崎さんがかつて「時間はない」と書いていたことのリアリティを鳥肌が立つ思いで感じていた。「永遠の現在』?