「大学がつまらない」とこぼす学生がいた。氷山の一角だ。
「大学がつまらない」の一言に隠れている、もっと具体的な問題をはっきりさせて、(A)本気でそう思うなら、とっととつまらなくない場所を探して、見つけて、そちらに行くか、それができないなら、(B)すこしでもつまらなくない、面白いと思えてくるような工夫をするしかないよね、ということをめぐって二人の学生といろいろと話し合った。しかし、「大学がつまらない」と言いながら、(A)も(B)もできずに、悶々とした時間をいたずらに過ごす子が少なくない。
つまるところ、「大学がつまらない」と思う「自分」をどうしていいか分からないのである。だから、「自分」のなかをチェックするしかない。なぜそう思ってしまうのか、そしてそう思うのになぜ何もできないのかを知るしかない。ところが、なかなかそういう風に考えを進めることができない子が少なくない。
したがって、私としては、彼/彼女たちを、そういう道へと案内することになる。自分の現実、現状をちゃんとつかまえること。変えられないところと変えたいところをはっきり区別すること。変えたいところは理想につながっている。現状認識と理想の実現は表裏一体である。現状認識とかけはなれた夢は理想ではない。
もし私が今「北海道の地で、ワイナリーをやりたい」と言い出したとしたら、それは夢であって、理想ではない。「来年は記憶と記録に関する共同研究を実現したい」、そして「来年は本の電子化問題をテーマに掲げたサンフランシスコ巡礼を実現したい」は理想である。そのための自分の現状認識、すなわち、それらの実現に向けて自分の中で変えていくべきところをはっきりと認識して、それをこつこつとやっているからである。もちろん、だからといって、必ず実現するとは限らない。しかし、そうしなければ、絶対実現なんかしない。そしてそうすることで、結果はどうあれ、いい意味で自分は変わる。
自分を変える勇気をもつこと。「大学はつまらない」と言いながら何もしない「自分」のつまらなさを変える勇気をもつことが、なによりも先決だよね、などと偉そうなことを言いながら、実は私は自分にも喝を入れていた。
もちろん、この話しは社会人の場合には背負っているものが桁違いなので、そのままではあてはまらないかもしれない。「〜はつまらない」と思っても口に出しては言えず、かといって(A)も(B)もなかなかできない不本意な現状のなかで、(C)かろうじて何かをやる、やり続ける、ということになる場合が多いのではないか。でもその(C)があるかないかが非常に大きいのだと思う。(C)が(A)か(B)につながることがありうるからである。